・・・思無邪であり、浩然の気であり、涅槃であり天国である。忙中に閑ある余裕の態度であり、死生の境に立って認識をあやまらない心持ちである。「風雅の誠をせめよ」というは、私を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・彼が、そのまま、天国のように眺める、山や海の上の生活にも、絶えざる闘争があり、絶えざる拷問があったが、彼はそれを見ることが出来なかった。 彼は彼一流の方法で、やっつけるだけであった。 夜の二時頃であった。寝苦しい夏の夜も、森と川・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・王は今天国に上っている夢を見ているらしい。此画を見た時に余は一種の物凄い感じを起したと同時に、神聖なる高尚なる感じを起こした。王の有様は少しも苦しそうに見えぬ。若し余も死なねばならぬならば、斯ういう工合にしたら窮屈で無くすむであろうと思うた・・・ 正岡子規 「死後」
・・・これは天国の天ぷらというもんですぜ。最上等のところです」と言いながら盗んで来た角パンを出しました。 ホモイはちょっとたべてみたら、実にどうもうまいのです。そこで狐に、 「こんなものどの木にできるのだい」とたずねますと狐が横を向いて一・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・たしかにばけもの世界の天国に、行ってしまったのでした。 ネネムのお母さんは、毎日目を光らせて、ため息ばかり吐いていましたが、ある日ネネムとマミミとに、「わたしは野原に行って何かさがして来るからね。」と云って、よろよろ家を出て行きまし・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
芥川さんでしたか「私達の生活の側に天国をもって来るとしたら、きっと退屈してしまって、死んでしまいたくなるだろう」って云われたように覚えてますが、それは私も同感に思います。ですから理想などというものは、実現されるまでのその間・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・ 曇りなき天国?」ときいた。インガは答えた。「私は幸福よ。望んでいたものをみんな持っているらしい。」 メーラは機敏な黒い目で、インガが何だか口ごもったのを見のがさなかった。「――けれど?」「――けれど……ほんとね、私は沢・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・石橋湛山は、編輯者としてインフレーション問題を扱えば、まさか聖書の文句を引用して幼児の如くあらずんば天国に入るを得ず、とあるから国民よ、幼児のごとく政府を信頼せよ、とは書かなかったであろう。しかし大臣となって、いかな魔法のためか、その椅子は・・・ 宮本百合子 「豪華版」
・・・ 幸福というような、人間の社会生活の環境から生まれた一つの観念は、そのような人間精神の活動の結果もたらされたひろまりにつれて、はたしてどのくらい進歩して来ているだろうか。 天国地獄、地獄極楽という観念の絵草紙が幸福の模様としてきめら・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・しかしそんな奴の出て来たのを見て、天国を信ずる昔に戻そう、地球が動かずにいて、太陽が巡回していると思う昔に戻そうとしたって、それは不可能だ。そうするには大学も何も潰してしまって、世間をくら闇にしなくてはならない。黔首を愚にしなくてはならない・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫