・・・町から小一里も行くとかの字港に出る、そこから船でつの字崎の浦まで海上五里、夜のうちに乗って、天明にさの字浦に着く、それから鹿狩りを初めるというのが手順であった。『まるで山賊のようだ!、』と今井の叔父さんがその太い声で笑いながら怒鳴った。・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・時代の風潮は遊廓で優待されるのを無上の栄誉と心得て居る、そこで京伝らもやはり同じ感情を有して居る、そこで京伝らの著述を見れば天明前後の社会の堕落さ加減は明らかに写って居ますが、時代はなお徳川氏を謳歌して居るのであります。しかし馬琴は心中に将・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ 十三 血煙天明陣 この映画は途中から見た。ずいぶん退屈な映画であった。人間が人間を追っ駆け回す場面、人と人とが切り合う場面が全映画の長さの少なくも五割以上を占めているような気持ちがした。 こういう映画の剣劇的立・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝が出で、天明年代に京伝、文化文政に三馬、春水、天保に寺門静軒、幕末には魯文、維新後には服部撫松、三木愛花が現れ、明治廿年頃から紅葉山人が出た。以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・を開く牡丹かな浪花の旧国主して諸国の俳士を集めて円山に会筵しける時萍を吹き集めてや花筵 傚素堂乾鮭や琴に斧うつ響あり時代 蕪村は享保元年に生まれて天明三年に歿す。六十八の長寿を保ちしかば・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・いわば元禄趣味はよくわかって居るが天明趣味の句はまだわからない処がある。天明趣味の句はよくわかって居るが明治趣味の句はまだわかって居らん処がある。それに気が附かないで独悟ったつもりになって後輩を軽蔑して居ると思わぬ不覚を取る事がないとも限ら・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・天保四年は小売米百文に五合五勺になった。天明以後の飢饉年である。 医師が来て、三右衛門に手当をした。 親族が駆け附けた。蠣殻町の中邸から来たのは、三右衛門の女房と、伜宇平とである。宇平は十九歳になっている。宇平の姉りよは細川長門守興・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫