・・・卯太郎という老人だ。彼自身も、自分の所有地は、S町の方に田が二段歩あるだけだった。ほかはすべてトシエの家の小作をしている。貧乏人にちがいなかった。そいつが、人を罵る時は、いつも、「貧乏たれ」という言葉を使った。「貧乏たれに限って、ちき生・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 三代目の横井何太郎が、M――鉱業株式会社へ鉱山を売りこみ、自身は、重役になって東京へ去っても、彼等は、ここから動くことができなかった。丁度鉱山と一緒にM――へ売り渡されたものゝ如く。 物価は、鰻のぼりにのぼった。新しい巨大な器械が・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・同級の生徒の中に西勃平というのと細川順太郎というのと私と、先ず此三人が年も同じ十一二歳で、気が合った朋友であった。この西勃平というのは、ああ今でも顔を能く覚えて居る。肥った饅頭面の、眼の小さい、随分おもしろい盛んな湾泊者で、相撲を取って負か・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・夙に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのか知れぬ。しかも納屋衆は殆ど皆、朝鮮、明、南海諸地との貿易を営み、大資本を運転して、勿論冒険的なるを厭わずに、手船を万里に派し、或は親しく渡航視察の・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・毎年の暮れに、郷里のほうから年取りに上京して、その時だけ私たちと一緒になる太郎よりも、次郎のほうが背はずっと高くなった。 茶の間の柱のそばは狭い廊下づたいに、玄関や台所への通い口になっていて、そこへ身長を計りに行くものは一人ずつその柱を・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「どうも太郎や次郎の大きくなったのには、たまげた。三吉もよくお前さん達の噂をしていますよ。あれも大きくなりましたよ」 とおげんは熊吉の子供に言って、それから弟の居るところへ一緒に成った。 しばらく逢わずにいるうちに直次もめっきり・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。「川だわねえ、お母さん。」と子供・・・ 太宰治 「海」
・・・は人間の骨だ、人間は昔、こんな醜い姿をして這って歩いていたのだ、恥を知れ、などと言って学界の紳士たちをおどかしたので、その石は大変有名になりまして、貴婦人はこれを憎み、醜男は喝采し、宗教家は狼狽し、牛太郎は肯定し、捨てて置かれぬ一大社会問題・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・一つを「太郎」もう一つを「次郎」と呼んでいた。あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶の縞のような斑のあるのとで、前のを「あか」あとのを「おさる」と名づけていた、おさるは顔にある縞がいわゆるどこか猿ぐまに似ていたからだれかがそう名づけた・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をかぶって行くことになっていたので、その時期が来ると市中の荒物屋やおもちゃ屋にはおかめ、ひょっとこ、桃太郎、さる、きつねといったようないろいろの仮面を売っていた。泥色をした浅草紙を型にたた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫