・・・丁度僕の生まれる前に突然夭折した姉のことである。僕等三人の姉弟の中でも一番賢かったと云う姉のことである。 この姉を初子と云ったのは長女に生まれた為だったであろう。僕の家の仏壇には未だに「初ちゃん」の写真が一枚小さい額縁の中にはいっている・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・そして、夭折した二児のことを考えるたびに、せめて、正しく生きる為には、余生をいかなる苛竦な鞭で打たるゝとも辞さないと思うのです。 こうした苦しみは、独り私達ばかりでなかった。そして、私達が、まだまだどん底の生活をして来たとは思われない。・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・その二、三をあげれば、天寿をまっとうして死ぬのでなく、すなわち、自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾その他の原因から夭折し、当然うけるであろう、味わうであろう生を、うけえず、味わいえないのをおそれるのである。来世の迷信から、その妻子・眷属に・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 即ち死ちょうことに伴なう諸種の事情である、其二三を挙ぐれば、天寿を全うして死ぬのでなく、即ち自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、来世の迷信から其妻子・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・たち拠らば大樹の陰、たとえば鴎外、森林太郎、かれの年少の友、笠井一なる夭折の作家の人となりを語り、そうして、その縊死のあとさきに就いて書きしるす。その老大家の手記こそは、この「狂言の神」という一篇の小説に仕上るしくみになっていたのに、ああ、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・そしてこの苗の生長を楽しみにしておられた博士は不幸にして夭折されたのである。亡くなられる少し前に、たしかこれらの楊梅が始めて四つとか五つとかの実を着けたという消息を聞いたことがあったように思う。その後さらに数年を経過した現在のこの楊梅の苗の・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・おばあさんは幾年ぶりかで見る道太を懐かしがって、同じ学校友だちで、夭折したその一粒種の子供の写真などを持ってきて、二階に寝ころんでいる道太に見せたりして、道太の家と自分の家の古い姻戚関係などに遡って、懐かしい昔の追憶を繰り返していた。「・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・丁度それは高等学校時分の事で、親友に米山保三郎という人があって、この人は夭折しましたが、この人が私に説諭しました。セント・ポールズのような家は我国にははやらない。下らない家を建てるより文学者になれといいました。当人が文学者になれといったのは・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・その意味で、この作品は、一人の少女の生活と文学との可能性がそれによって進み終せるか、夭折させられるかという、重大な危期をその第一歩からもたらしたのであった。 この小説の中には、素朴なかたちではあるが、おそらく作者の全生涯を貫くであろう人・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・従って、現代の日本の女性の裡には無数の夭折する――心理的の意味に於て――力が埋められて居ります。何物をも産出する事の不可能なよき魂がございます。よく成ろうとする無数の力、発展しようとする発芽の希願は、厚い塵芥の堆積の下で、恐るべき長時間を過・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫