・・・二頭の乳牛を両腕の下に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛の避難を終え、翌日一日分の飼料をも用意し得た。 水層はいよいよ高く、四ツ目より太平町に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をも・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・崖の崩れた生ま生ましい痕が現わになり渓流の中にも危岩が聳え立って奔流を苛立たせている処もある。 大きな崖崩れで道路のこわれたあとがもう荒まし修繕が出来ていた。そこへ内務省と大きく白ペンキでマークしたトラックが一台道を塞いで止まってその上・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 現代思潮の変遷はその迅速なること奔流もただならない。旦に見て斬新となすもの夕には既に陳腐となっている。槿花の栄、秋扇の嘆、今は決して宮詩をつくる詩人の間文字ではない。わたしは既に帝国劇場の開かれてより十星霜を経たことを言った。今日この・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・開かれた扉の際の際まで、人民の意欲として生活的文学的創造の力が密集していて、それは奔流となってほとばしり、苦悩と堅忍と勝利への見とおしを高ならせたであろう。その潮にともに流れてこそ、作家は、新しい文学の真の母胎である大衆生活のうちに自身の進・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・何か感動させる光景に出会った時、または心をとらえる人の表情に目がとまった時、ケーテはヨーロッパの婦人にありがちな仰々しい感歎の声ひとつ発せず、自分のすべての感覚を開放し、そこに在る人間の情緒の奔流と、その流れを物語っている肉体の強い表情とを・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・いろいろな事象がそれ自身の収拾つかない課題の生々しい断面をむき出しながら、益々幅と量とをましながら奔流しつつ十二月が来ている。 日々の生活感情がそのようだし、十二月号の雑誌をいくつか見ると、従来なら吉例的にたとえ外面からのことは承知でも・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ 不自然な重圧をようようとりのけられた彼女の無邪気さ、絶対的な従順さが、天にも舞い昇りそうな意気とともに、躍り上り、跳ね上りながら奔流し始めたのである。 一日中で一番長い放課時間に、彼女はよく、校舎の後を抱えるようにしてこんもりと茂・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・しかし、七篇をとおして流れている云うに云えない生真面目な、本気な、沈潜した作者たちの創作の情熱は、少くとも日本の、浅い文学の根が、ジャーナリズムの奔流に白々と洗いさらされている作品たちとは、まるで出発点からちがったものであることを痛感させた・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・おかれた不幸な一人の女として自分の母をも描いているのであって、決して子から見た母、子に対して負うべき責任を持っているものとしての母、しかもその責任を充分自覚もしなければ果たしもしないで、生活の荒々しい奔流に巻きこまれて行った母に対して、払わ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・我々の表現すべき内生は真理の底に、生命の底に、まっしぐらに突進して行く奔流のごとき情熱である。岩壁に突き当たって跳ね返えされる痛苦を、歯を食いしばって忍耐する勇気である。我々の血は小さい心臓の内に沸き返っている。我々の筋肉は痛苦の刺激によっ・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫