・・・四ツ谷からお茶の水の高等女学校に通う十八歳くらいの少女、身装もきれいに、ことにあでやかな容色、美しいといってこれほど美しい娘は東京にもたくさんはあるまいと思われる。丈はすらりとしているし、眼は鈴を張ったようにぱっちりしているし、口は緊って肉・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・そしてそれらの勇士を弔う唱歌の女学校生徒の合唱などがいっそう若い頭を感傷的にしたものである。一つは観客席が暗がりであるための効果もあったのである。同じ効果は活動写真の場合においても考慮に加えらるべきであろう。 疾くに故人となった甥の亮が・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
大垣の女学校の生徒が修学旅行で箱根へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・今時の女学校出身の誰々さんのように、夫の留守に新聞雑誌記者の訪問をこれ幸い、有難からぬ御面相の写真まで取出して「わらわの家庭」談などおっぱじめるような事は決してない。かく口汚く罵るものの先生は何も新しい女権主義を根本から否定しているためでは・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・去年までは女学校であったので、ここの神さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な商買を始めたのである。彼らは固より不正な人間ではない。正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れた試がございません。 熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったの・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・斉藤先生が先に立って女学校の裏で洪積層と第三紀の泥岩の露出を見てそれからだんだん土性を調べながら小船渡の北上の岸へ行った。河へ出ている広い泥岩の露出で奇体なギザギザのあるくるみの化石だの赤い高師小僧だのたくさん拾った。それから川岸を下って朝・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そういう述懐をもっている方は、きょうの会に来ていらっしゃる方々の中に一人もないでしょうか。女学校を卒業する人からの手紙で、一番心痛の種になっていることは、もっと何か勉強したい自分の心と、お嫁入りということだけを先に見ていて、洋裁でも稽古して・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・私の大学にいた頃から心安くした男で、今は某会社の頭取になっているのが、この女の檀那で、この女の妹までこの男の世話になって、高等女学校にはいっている。そこで年来その男と親くしている私を、鼠頭魚は親類のように思っているのである。 私は二階に・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ その横は女学校の門である。午後の三時になると彩色された処女の波が溢れ出した。その横は風呂屋である。ここではガラスの中で人魚が湯だりながら新鮮な裸体を板の上へ投げ出していた。その横は果物屋だ。息子はペタルを踏み馴らした逞しい片足で果物を・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫