・・・ 芸術家の幸福 最も幸福な芸術家は晩年に名声を得る芸術家である。国木田独歩もそれを思えば、必しも不幸な芸術家ではない。 好人物 女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だち・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・殊に今夜は和服のせいか、禿げ上った額のあたりや、肉のたるんだ口のまわりには、一層好人物じみた気色があった。少将は椅子の背に靠れたまま、ゆっくり周囲を眺め廻した。それから、――急にため息を洩らした。 室の壁にはどこを見ても、西洋の画の複製・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ お光さんの夫なる人は聞いたよりも好人物で、予ら親子の浜ずまいは真に愉快である。海気をふくんで何となし肌当たりのよい風がおのずと気分をのびのびさせる。毎夕の対酌に河村君は予に語った。妻に子がなければ妻のやつは心細がって気もみをする、親類・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・日常家庭生活においても二葉亭の家庭は実の親子夫婦の水不入で、シカモ皆好人物揃いであったから面倒臭いイザコザが起るはずはなかったが、二葉亭を中心としての一家の小競合いは絶間がなくてバンコと苦情を聴かされた。二葉亭の言分を聞けば一々モットモで、・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・大師なども初は久米様のいた寺で勉強した位である、なかなかの魔法使いだったから、雲ぐらいには乗ったろうが、洗濯女の方が魔法が一段上だったので、負けて落第生となったなどは、愛嬌と涎と一緒に滴るばかりで実に好人物だ。 奈良朝から平安朝、平安朝・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・普通、好人物の如く醜く動転、とり乱すようなことは致しません。やるなら、やれ、と糞度胸を据え、また白樺の蔭にひたと身を隠して、事のなりゆきを凝視しました。 やるならやれ。私の知った事でない。もうこうなれば、どっちが死んだって同じ事だ。二人・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・僕は、君たちの出現を待っていたのです。好人物と言われて笑われ、ばかと言われて指弾され、廃人と言われて軽蔑されても、だまってこらえて待っていた。どんなに、どんなに、待っていたか。」 言っているうちに涙がこぼれ落ちそうになったので、あわてて・・・ 太宰治 「花燭」
・・・クロオジヤスは、申し分なき好人物にして、その条件に適っている如く見えた。ロオマ一ばんの貝殻蒐集家として知られていた。黒薔薇栽培にも一家言を持っていた。王位についてみても、かれには何だか居心地のわるい思いであった。恐縮であった。むやみ矢鱈に、・・・ 太宰治 「古典風」
・・・チエホフの芝居にも、ひとりの気のきかない好人物が、「あわや、というまに熊は女を組み伏せたりき。あわや、というまに熊は女を組み伏せたりき。おや、これは、どういうわけだろう。きょうは、朝から、この言葉がふいと口をついて出て来て、仕様がない。あわ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・お父さんみたいなひとを、好人物、というんじゃないかしら。まるでもう無神経なのだから。でも、お母さんは昔は綺麗だったなあ。あたし、東京で十年ちかく暮して、いろんな女優やら御令嬢やらを見たけれども、うちのお母さんほど綺麗なひとを見た事が無い。あ・・・ 太宰治 「冬の花火」
出典:青空文庫