・・・が、何も才物だからと云って、その人間に対する好悪は、勿論変る訳もありません。いや、私は何度となく、すでに細君の従弟だと云う以上、芝居で挨拶を交すくらいな事は、さらに不思議でも何でもないじゃないかと、こう理性に訴えて、出来るだけその男に接近し・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・僕はこう言う彼女の姿に美醜や好悪を感ずるよりも妙に痛切な矛盾を感じた。彼女は実際この部屋の空気と、――殊に鳥籠の中の栗鼠とは吊り合わない存在に違いなかった。 彼女はちょっと目礼したぎり、躍るように譚の側へ歩み寄った。しかも彼の隣に坐ると・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 好悪 わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。 ではなぜ我我は極寒・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・おまけに一番悪いことはその人としてだけ考える時でもいつか僕自身に似ている点だけその人の中から引き出した上、勝手に好悪を定のみならずこの奥さんの気もちに、――S君の身もとを調べる気もちにある可笑しさを感じました。「Sさんは神経質でいらっし・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・「いやいや、仏法の貴賤を分たぬのはたとえば猛火の大小好悪を焼き尽してしまうのと変りはない。……」 それから、――それから如来の偈を説いたことは経文に書いてある通りである。 半月ばかりたった後、祇園精舎に参った給孤独長者は竹や芭蕉・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・々し、ドストエフスキーの『罪と罰』の如きは露国の最大文学であるを確認しつつもなお、ドストエフスキーの文章はカラ下手くそで全で成っていないといってツルゲーネフの次位に置き、文学上の批判がともすれば文章の好悪に囚われていた。例えば現時の文学に対・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 親子の関係、夫妻の関係、友人の関係、また男女恋愛の関係、及び正義に対して抱く感情、美に対して抱く感激というようなものは何人にも経験のあることであって従って作中の人物に対して同感しまた其れに対して、好悪をも感ずるのであります。 芸術家・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・常にその時代の文壇は、享楽階級の好悪によって左右さるべき性質のものであるからです。 芸術が、他のすべての自然科学の場合と同じく、独立して価値あるものでなくして、人生のために良心たり、感激たる上に於てのみ価値あるからには、芸術家は、すべか・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・初めは快、不快な結果を好悪する心から徳、不徳を好悪したのだが、広く連想をくりかえすうちに、直接に徳、不徳を好悪するようになった。これが道徳的感情である。行為の価値は永続する、そして不快を結果せぬ快楽、すなわち幸福を生ずるところにあり、社会の・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼の風貌は、馬場の形容を基にして私が描いて置いた好悪ふたつの影像のうち、わるいほうの影像と一分一厘の間隙もなくぴったり重なり合った。そうして尚さらいけないことには、そのときの太宰の服装がそっくり、馬場のかねがね最もいみきらっているたちのもの・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫