・・・そうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・久保田君の時に浮ぶる微笑も微苦笑と称するを妨げざるべし。唯僕をして云わしむれば、これを微哀笑と称するの或は適切なるを思わざる能わず。 既にあきらめに住すと云う、積極的に強からざるは弁じるを待たず。然れども又あきらめに住すほど、消極的に強・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・ それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクスはその生命観において、物心の区別を知らないほどに全的要求を持った人であったということができると私は・・・ 有島武郎 「想片」
・・・のみならず、詩作その事に対する漠然たる空虚の感が、私が心をその一処に集注することを妨げた。もっとも、そのころ私の考えていた「詩」と、現在考えている「詩」とは非常に違ったものであるのはむろんである。 二十歳の時、私の境遇には非常な変動が起・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・幸いに可忌い坊主の影は、公園の一木一草をも妨げず。また……人の往来うさえほとんどない。 一処、大池があって、朱塗の船の、漣に、浮いた汀に、盛装した妙齢の派手な女が、番の鴛鴦の宿るように目に留った。 真白な顔が、揃ってこっちを向いたと・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ おはまは省作と並んで刈りたかったは山々であったけれど、思いやりのない満蔵に妨げられ、仏頂面をして姉と満蔵との間へはいった。おとよさんは絶対に自分の夫と並ぶをきらって、省作と並ぶ。なんといってもこの場では省作が花役者だ。何事にも穏やかな・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・沼南の味も率気もない実なし汁のような政治論には余り感服しなかった上に、其処此処で見掛けた夫人の顰蹙すべき娼婦的媚態が妨げをして、沼南に対してもまた余りイイ感じを持たないで、敬意を払う気になれなかった。 が、この不しだらな夫人のために泥を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・といって貸してやったら、その人はまたこれをその家へ持っていって一所懸命に読んで、暁方まで読んだところが、あしたの事業に妨げがあるというので、その本をば机の上に抛り放しにして床について自分は寝入ってしまった。そうすると翌朝彼の起きない前に下女・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・サ行の音が多いにちがいないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。然し私は小さいきれぎれの言葉を聴きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷の然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。――・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
出典:青空文庫