・・・――吉田はほとんど身動きもできない姿勢で身体を鯱硬張らせたままかろうじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・今度は片肱をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・と言って志村はそのまま再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、「書き給え、僕はその間にこれを直すから。」 自分は画き初めたが、画いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、かえって彼が可愛くなって来た。そのうちに書き終っ・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・学生の常なる姿勢は一に勉強、二に勉強、三に勉強でなくてはならぬ。なるほど恋愛はこの姿勢を破らせようとするかもしれぬ。だがその姿勢が悩みのために、支えんとしても崩されそうになるところにこそ学窓の恋の美しさがあるのであって、ノートをほうり出して・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・そこで膝射の姿勢をとった。農民が逃げて、主人がなくなった黒い豚は、無心に、そこらの餌をあさっていた。彼等はそれをめがけて射撃した。 相手が×間でなく、必ずうてるときまっているものにむかって射撃するのは、実に気持のいゝことだった。こちらで・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・そこから十間ほど距って、背後に、一人の将校が膝をついて、銃を射撃の姿勢にかまえ兵卒をねらっていた。それはこちらからこそ見えるが、兵卒には見えないだろう。不意打を喰わすのだ。イワンは人の悪いことをやっていると思った。 大隊長が三四歩あとす・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・禅宗の味噌すり坊主のいわゆる脊梁骨を提起した姿勢になって、「そんな無茶なことを云い出しては人迷わせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞ既にいい腕になっているのだもの、いよいよ腕を磨くべしだネ。」 戦闘が開始されたようなも・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 女の唇は堅く結ばれ、その眼は重々しく静かに据り、その姿勢はきっと正され、その面は深く沈める必死の勇気に満されたり。男は萎れきったる様子になりて、「マア、聞きてえとおもってもらおう。おらあ汝の運は汝に任せてえ、おらが横車を云おう気は・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・私の姉がそれをやった時分に、私はまだ若くて、年取った人たちの世界というものをのぞいて見たように思ったことを覚えているが、ちょうど今の私がそれと同じ姿勢で。 私はもう一度、自分の手を裏返しにして、鏡でも見るようにつくづくと見た。「自分・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・鴉は羽ばたきもせず、頭も上げず、凝然たる姿勢のままで、飢渇で力の抜けた体を水に落した。そして水の上でくるくると輪をかいて流れて行った。七人の男は鴉の方を見向きもしない。 どこをも、別荘の園のあるあたりをも、波戸場になっているあたりをも、・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫