・・・唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。 近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しよう・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・道祖神は、それにも気のつかない容子で、「されば、恵心の御房も、念仏読経四威儀を破る事なかれと仰せられた。翁の果報は、やがて御房の堕獄の悪趣と思召され、向後は……」「黙れ。」 阿闍梨は、手頸にかけた水晶の念珠をまさぐりながら、鋭く・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ 島には鎌倉殿の定紋ついた帷幕を引繞らして、威儀を正した夥多の神官が詰めた。紫玉は、さきほどからここに控えたのである。 あの、底知れずの水に浮いた御幣は、やがて壇に登るべき立女形に対して目触りだ、と逸早く取退けさせ、樹立さしいでて蔭・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 小宮山はわざとらしく威儀を備え、「そうだ、お前さんの名は何と云う。」「そうだは御挨拶でございますこと、私は名も何もございませんよ。」「いいえさ、何と云うのだ。」「お雪さんにお聞きなさいまし、貴方は御存じでいらっしゃるん・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 殊にお掛屋の株を買って多年の心願の一端が協ってからは木剣、刺股、袖搦を玄関に飾って威儀堂々と構えて軒並の町家を下目に見ていた。世間並のお世辞上手な利口者なら町内の交際ぐらいは格別辛くも思わないはずだが、毎年の元旦に町名主の玄関で叩頭を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と、でっぷり肥ったる大きな身体を引包む緞子の袴肩衣、威儀堂々たる身を伏せて深々と色代すれば、其の命拒みがたくて丹下も是非無く、訳は分らぬながら身を平め頭を下げた。偉大の男はそれを見て、笑いもせねば褒めもせぬ平然たる顔色。「よし、よし・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・けれども、私の傍には厳然と、いささかも威儀を崩さず小坂氏が控えているのだ。五分、十分、私は足袋と悪戦苦闘を続けた。やっと両方履き了えた。「さあ、どうぞ。」小坂氏は何事も無かったような落ちついた御態度で私を奥の座敷に案内した。小坂氏の夫人・・・ 太宰治 「佳日」
・・・洋装の軍服を着れば如何なる名将といえども、威儀風采において日本人は到底西洋の下士官にも肩を比する事は出来ない。異った人種はよろしく、その容貌体格習慣挙動の凡てを鑑みて、一様には論じられない特種のものを造り出すだけの苦心と勇気とを要する。自分・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・また振返って階段の下なる敷石を隔てて網目のように透彫のしてある朱塗の玉垣と整列した柱の形を望めば、ここに居並んだ諸国の大名の威儀ある服装と、秀麗なる貴族的容貌とを想像する。そして自分は比較する気もなく、不体裁なる洋服を着た貴族院議員が日比谷・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・居間と客間との間の建具をはずさせ、嫡子権兵衛、二男弥五兵衛、つぎにまだ前髪のある五男七之丞の三人をそばにおらせて、主人は威儀を正して待ち受けている。権兵衛は幼名権十郎といって、島原征伐に立派な働きをして、新知二百石をもらっている。父に劣らぬ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫