・・・ ところへ三重吉が門口から威勢よく這入って来た。時は宵の口であった。寒いから火鉢の上へ胸から上を翳して、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが、急に陽気になった。三重吉は豊隆を従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・「ちょいと行ッて来ちゃアどうだね、も一杯威勢を附けて」 西宮が与した猪口に満々と受けて、吉里は考えている。「本統にそうおしよ。あんまり放擲ッといちゃアよくないよ。善さんも気の毒な人さ。こんなに冷遇ても厭な顔もしないで、毎晩のよう・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・……………次も二人乗の車だが今度は威勢が善い。乗ってる者は、三十余りか四十にも近い位の、かっぷくの善い、堅帽を被った男で、中位な熊手を持って居る。大方かなりな商家の若旦那であろう。四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ところが象が威勢よく、前肢二つつきだして、小屋にあがって来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。 ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ ホモイができるくらい威勢よく言いました。 「お前はずいぶん僕をいじめたな。今度は僕のけらいだぞ」 狐は卒倒しそうになって、頭に手をあげて答えました。 「へい、お申し訳もございません。どうかお赦しをねがいます」 ホモイは・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・体のふりかた、道具をひっくりかえす威勢のいい敏捷な音、どれもが、こげるぞ、どっこい。こがすな、どっこい。と調子をとっているようだった。雨のふる日には、菊見せんべいの店の乾いた醤油のかんばしい匂いが一層きわだった。 菊見せんべいへ行く・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・関東軍の威勢は日本の運命を左右し一人一人の首ねっこを押えていただけに、この歴史的事実にたいして、一般の人々の抱いている人間的道義的侮蔑は深く鋭いものである。日本の武士道とやまとだましいのはりこの面のうらの、醜さ、卑劣さとして、世界的に唾棄さ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・そのあわただしい中に、地方長官の威勢の大きいことを味わって、意気揚々としているのである。 閭は前日に下役のものに言っておいて、今朝は早く起きて、天台県の国清寺をさして出かけることにした。これは長安にいたときから、台州に着いたら早速往こう・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・と彼は云うと、威勢好く表へ立った。 勘次は秋三の微笑から冷たい風のような寒さを感じた。彼は暫く庭の上を見詰めたまま動けなかった。「すまんこっちゃわ、えらい厄介かけてのう、大きに大きに。」 勘次も安次に叩頭されればされる程、不思議・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫