・・・優しい威厳に充ち満ちた上宮太子などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」「まあ、御待ちなさい。御前さん・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ 治修はいつか別人のように、威厳のある態度に変っていた。この態度を急変するのは治修の慣用手段の一つである。三右衛門はやはり目を伏せたまま、やっと噤んでいた口を開いた。しかしその口を洩れた言葉は「なぜ」に対する答ではない。意外にも甚だ悄然・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・彼はただ粟野さんの前に彼自身の威厳を保ちたいのである。もっとも威厳を保つ所以は借りた金を返すよりほかに存在しないと云う訣ではない。もし粟野さんも芸術を、――少くとも文芸を愛したとすれば、作家堀川保吉は一篇の傑作を著わすことに威厳を保とうと試・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・そして今までとは打って変って神々しい威厳でクララを圧しながら言葉を続けた。「神の御名によりて命ずる。永久に神の清き愛児たるべき処女よ。腰に帯して立て」 その言葉は今でもクララの耳に焼きついて消えなかった。そしてその時からもう世の常の・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・さすが高位の御身とて、威厳あたりを払うにぞ、満堂斉しく声を呑み、高き咳をも漏らさずして、寂然たりしその瞬間、先刻よりちとの身動きだもせで、死灰のごとく、見えたる高峰、軽く見を起こして椅子を離れ、「看護婦、メスを」「ええ」と看護婦の一・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨のちっと出た、目の大きい、鼻の隆い、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢三十ばかりなるが、引緊った口に葉巻を啣えたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠に面した。 この畠を前に・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――これは怪しからず、天津乙女の威厳と、場面の神聖を害って、どうやら華魁の道中じみたし、雨乞にはちと行過ぎたもののようだった。が、何、降るものと極れば、雨具の用意をするのは賢い。……加うるに、紫玉が被いだ装束は、貴重なる宝物であるから、驚破・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・な顔をしていたろうと思いめぐらしていると、段々それが友人の皮肉な寂しい顔に見えて来て、――僕は決して夢を見たのではない――その声高いいびきを聴くと、僕は何だか友人と床を並べて寝ている気がしないで、一種威厳ある将軍の床に侍っている様な気がした・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と、僕と吉弥とを心配そうに見まわした様子には、さすが、親としての威厳があった。「そりゃアもちろんです」と、僕はまた答えた。僕は棄てッ鉢に飲んだ酒が十分まわって来たので、張りつめていた気も急にゆるみ、厭なにおいも身におぼえなくなり、年取っ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そんなことを話してから夏目さんは「近頃、主人公の威厳を損じた……」と言って笑われた。 前にも言った通り、私は夏目さんの近年の長篇を殆んど読んでいないといって宜しい。よし新聞や何かで断片的には読んでいるとしても、私はやはり初期の作が好きだ・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
出典:青空文庫