・・・夫の外交官も新時代の法学士ですから、新派悲劇じみたわからずやじゃありません。学生時代にはベエスボールの選手だった、その上道楽に小説くらいは見る、色の浅黒い好男子なのです。新婚の二人は幸福に山の手の邸宅に暮している。一しょに音楽会へ出かけるこ・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・北京にある日本公使館内の一室では、公使館附武官の木村陸軍少佐と、折から官命で内地から視察に来た農商務省技師の山川理学士とが、一つテエブルを囲みながら、一碗の珈琲と一本の葉巻とに忙しさを忘れて、のどかな雑談に耽っていた。早春とは云いながら、大・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・どういうものか、正式に学校から授けない、ものの巧者は、学士を飛越えて博士になる。博士神巫が、亭主が人殺しをして、唇の色まで変って震えているものを、そんな事ぐらいで留めはしない……冬の日の暗い納戸で、糸車をじい……じい……村も浮世も寒さに喘息・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・梅水の主人は趣味が遍く、客が八方に広いから、多方面の芸術家、画家、彫刻家、医、文、法、理工の学士、博士、俳優、いずれの道にも、知名の人物が少くない。揃った事は、婦人科、小児科、歯科もある。申しおくれました、作家、劇作家も勿論ある。そこで、こ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い文学士や学生などと頻りに交際していたが、江戸の通人を任ずる緑雨の眼からは田舎出の学士の何にも知らないのが馬鹿げて見えたのは無理もなかった。若い学士の方でも緑雨の社会通を相当に認めて、そういう方面の解らない事・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・であるから坪内君の『書生気質』を読んでも一向驚かず、平たくいうと、文学士なんてものは小説を書かせたら駄目なものだと思っていた。格別気にも留めずにいた。その時分私の親類の或るものが『書生気質』を揃えて買って置きたいからって私に買ってくれといっ・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・たとえば、学校の先生……ある人がいうように何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいはその上にアメリカへでも往って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことであります。私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりま・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ちょうど満洲事変が起った年で、世の中の不景気は底をついて、東京では法学士がバタ屋になったと新聞に出るという時代だったから、拾い屋といってもべつに恥しくはない。それに私は何かその男といっしょに働く喜びにいそいそとして、文子のことなどすっかり思・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・後に残ったのは笹川と六人の彼の友だちと、それに会社員の若い法学士とであった。そして会計もすんで、いよいよ皆なも出かけようという時になって、意外なことになった。……それは、今朝になって突然K社の人が佐々木を訪ねてきて、まだ今夜の会場が交渉して・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・書記官と聞きたる綱雄は、浮世の波に漂わさるるこのあわれなる奴と見下し、去年哲学の業を卒えたる学士と聞きたる辰弥は、迂遠極まる空理の中に一生を葬る馬鹿者かとひそかに冷笑う。善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫