・・・ 帰朝当座の先生は矢来町の奥さんの実家中根氏邸に仮寓していた。自分のたずねた時は大きな木箱に書物のいっぱいつまった荷が着いて、土屋君という人がそれをあけて本を取り出していた。そのとき英国の美術館にある名画の写真をいろいろ見せられて、その・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・つの理由としては、辰之助の妹婿の山根がついこのごろまでおひろと深い間であったことで、恋女房であった彼の結婚生活が幸福であった一面に、山根はよくおひろをつれて温泉へ行ったり、おひろの家で流連したりして、実家の母をいらいらさせた。最近山根は酒を・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・の世話に預り、年漸く長じて家の娘と結婚、養父母は先ず是れにて安心と思いの外、この養子が羽翼既に成りて社会に頭角を顕すと同時に、漸く養家の窮窟なるを厭うて離縁復籍を申出し、甚だしきは既婚の妻をも振棄てゝ実家に帰るか、又は独立して随意に第二の妻・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一 女子の結婚は男子に等しく、他家に嫁するあり、実家に居て壻養子するあり、或は男女共に実家を離れて新家を興すことあり。其事情は如何ようにても、既に結婚したる上は、夫婦は偕老同穴、苦楽相共の契約を守りて、仮初にも背く可らず。女子が生涯娘な・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・の両人は即時学校をやめ奉公に出ずべし一 母上は後藤家の厄介にならせらるるを順当とす一 玄太郎、せつの所得金は母上の保管を乞うべし一 富継健三の養育は柳子殿ニ頼む一 柳子殿は両人を連れて実家へ帰らるべし一 富継健三の所得金・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
・・・そしておみちはそのわずかの畑に玉蜀黍や枝豆やささげも植えたけれども大抵は嘉吉を出してやってから実家へ手伝いに行った。そうしてまだ子供がなく三年経った。 嘉吉は小屋へ入った。(お前さま今夜ほうのきさ仏さん拝おみちが膳の上に豆の餅の皿を・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・その朝彼女の実家から手紙を貰った。純夫が陽子の離籍を承諾しない事、一人の女が彼の周囲にあるらしいことなど告げられたのであった。純夫に恋着を失った陽子にそんなことはどうでもよかった。然し、事実は愛情もない、別々に生活している男女が法律の上でだ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・東大でも、伊藤ハンニまがいの山師がでているし、きわめてエクセントリックな性格と生活態度の女子学生が大阪の実家で弟に殺されたという事件があったし、法科の学生が教室でエロティックな映画を公開したというおどろくべきこともありました。女子の学校など・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・そして、妻が反対したのに拘らず、彼は妻の実家を立て直して翌年死んだ。以後勘次の家は何事につけても秋三の家の上に立った。で、何物にも屈伏することを好まない青年の自尊心を感じることの出来る者達程、此の日の二人の乱闘の原因も、所詮酒の上の、「箸で・・・ 横光利一 「南北」
・・・それは、母の実家が代代の勤皇家であるところへ、父が左翼で獄に入ったため、籍もろとも実家の方が栖方母子二人を奪い返してしまったことである。父母の別れていることは絶ちがたい栖方のひそかな悩みであった。しかし、梶はこの栖方の家庭上の悩みには話題を・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫