・・・もし第一の種類に属する芸術家がそれを主張するようなことを仮想したら、あるいはそれは実感として私の頭に響くかもしれない。しかしながら広津氏の筆によって教えられることになると、私にはお座なりの概念論としてより響かなくなる。なぜならば、それは主張・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・それを実感的にひしひしと誤りなく感ずることができるだろうか。そして私の思うところによれば、生命ある思想もしくは知識はその根を感情までおろしていなければならない。科学のようなごく客観的に見える知識でさえが、それを組み上げた学者の感情によって多・・・ 有島武郎 「片信」
・・・それは、実感を詩に歌うまでには、ずいぶん煩瑣な手続を要したということである。たとえば、ちょっとした空地に高さ一丈ぐらいの木が立っていて、それに日があたっているのを見てある感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 所詮、芸術は、いかに如実に、現実を再現しようとしても、たゞ、事件それのみを語ることを目的としたり、畢竟、直接の経験した者の実感以上には、出ることができないのである。 芸術が、経験を通じて、何ものかを語らんとしていることは、事実であ・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
彼は小説家だった。下手な小説家だった。その証拠に実感を尊重しすぎた。 彼は掏摸の小説を構想した。が、どうも不安なので、掏摸の顔を見たさに、町へ出た。 ところが、一人も掏摸らしい男に出会わなかった。すごすご帰りの電車・・・ 織田作之助 「経験派」
・・・宿帳には下手糞な字で共産党員と書き、昨日出獄したばかりだからとわざと服装の言訳して、ベラベラとマルキシズムを喋ったが、十年入獄の苦労話の方はなお実感が籠り、父親は十年に感激して泣いて文子の婿にした。 所が、男は一年たたぬうちに再び投獄さ・・・ 織田作之助 「実感」
・・・ 今はもうその時の実感を呼び起すだけのナイーヴな神経を失っているし、音楽でも聴かぬ限り、めったと想いだすこともないが、つまらない女から別れ話を持ち出されて、オイオイ泣きだしたのは、あとにもさきにもこの一度きりで、親が死んだ時もこんなにも・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・東京人でありながら、早くから東京に見切りをつけて、関西を第二の故郷としておられる谷崎氏の実感の前には、東京文壇の空虚な地方文学論なぞ束になっても、かなわぬのである。 故郷を捨てて東京に走り、その職業的有利さから東京に定住している作家、批・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・あの海に実感を持たねばならぬと思います。 ある日私は年少の友と電車に乗っていました。この四月から私達に一年後れて東京に来た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云い云いしました。私にも少くともその気持に似た経験は・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・あの広い裾野を持ち、あの高さを持った富士の容積、高まりが想像でき、その実感が持てるようになったら、どうだろう――そんなことを念じながら日に何度も富士を見たがった、冬の頃の自分の、自然に対して持った情熱の激しさを、今は振り返るような気持であっ・・・ 梶井基次郎 「路上」
出典:青空文庫