・・・こんな事を考えてみるだけでもそこにいろいろなまじめな興味ある問題を示唆されるのであるが、その示唆の呪法の霊験がこの肉筆の草稿からわれわれの受けるなまなましい実感によっていっそう著しく強められるであろうと思われるのである。・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・歌舞伎劇にも女の殺される処は珍しくないがその洗練された芸風と伴奏の音楽とが、巧みに実感を起させないようにしている。ここに芸術の妙味が認められる。 しかしわたくしは浅草の芝居の絵看板またその舞台を見て、戦争後の人心の残忍になった反映だとは・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・私も同じ事で、直接の実感でなけりゃ真劒になるわけには行かん。ところが小説を書いたり何かする時にゃ、この直接の実感という奴が起って来ない。人生に対するのが盗賊に追われた時の心持になって了う。議論から考えて見ると、人生というものが何も具体的にそ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ この初期の二つの評論にはっきりあらわれているように階級の歴史的経験を、自身の実感としないではいられなかった著者が「評価の科学性」からのち、益々解放運動とその文学運動の中心課題にてい身してゆくにつれ、論策も主としてプロレタリア文化・文学・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感をもって思い出すであろう。戦線の兵士たちが可愛い。法悦・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・現実の社会悪ととりくんで、悪の中から一つ一つと、社会と人間のよりよい変革のための方向をひき出してゆく、善意の実感の美しい生きた力を欠いていることの証拠です。これは古風な正義派の感覚ではありません。 一般の人々が、毎日の生活の中にこれほど・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・主になってあらゆることを処理してゆく社会の中で、女に求められた女らしさ、その受け身な世のすごしかたに美徳を見出した根本態度は、社会の歴史の進む足どりの速さにつれて、今日の現実の中では、男自身、女自身の実感のなかで、きわめてずれた形をとってい・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・此のため官能的表徴は感覚的表徴よりもより直截で鮮明な印象を実感さす。が、実は感覚的表徴のそれのごとく象徴せられた複合的綜合的統一体なる表徴能力を所有することは不可能なことである。此の故官能表徴は表象能力として直接的であるそれだけ単純で、感覚・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・それだけ、今ごろ標札のかわりに色紙を欲しがる青年の戯れに実感がこもり、梶には、他人事ではない直接的な繋がりを身に感じた。当時の悩みの種が意外なところへ落ちていて、いつの間にかそこで葉を伸ばしていたのである。彼は一日も早く栖方に会ってみたくな・・・ 横光利一 「微笑」
・・・彼らはこの小さい生活に満足して、生活の真相を実感しようとは努めない。 従って彼らの眼には、常識以上に深く自然に食い入ったものと、実感なくただ空想によって造り上げられたものとの区別がつかない。そこには嘘と真実との両極端が現われているのに、・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫