・・・しかし恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。 アントニイもそう云う例に洩れず、クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、努めてそれを見まいとしたであろう。又・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ この男性にあらわれる生活精力上、審美上、優生学上の天然の意志については、婦人は簡単に獣慾とか、不貞操とか考えたのでは実相にあたらない。したがってただそれだけで、夫の人格を評価して、夫婦生活にひざまずいたりするのは浅慮である。 天然・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・きょうの君には、それら実相を知らせてあげたい。知ったとたんに、君は、裏の線路に飛び込むだろう。さなくば僕の泥足に涙ながして接吻する。君にして、なおも一片の誠実を具有していたなら! 吉田潔。」 中旬 月日。「拝呈。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・大袈裟な言いかたをすれば、私はいつでも、「人間歴史の実相」を、天に報告しているのだ。私怨では無いのだ。けれども、そう言うとまた、人は笑って私を信じない。 私は、よっぽど、甘い男ではないかと思う。謂わば、「観念野郎」である。言動を為すに当・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・四円なんて、僕には、おそろしく痛かったんですよ。」実相をぶちまけるより他は無い。「痛かったかどうか、こっちの知ったことじゃないんです。」商人は、いよいよ勢を得て、へへんと私を嘲笑した。「そんなに痛かったら、あっさり白状して断れば、よかっ・・・ 太宰治 「市井喧争」
・・・ 日本有数という形容は、そのまま世界有数という実相なのだから、自重しなければならぬ。 太宰治 「世界的」
・・・それを家内が、どういうものだか、仙台平だとばかり思っている様子だから、今更、その幻想をぶち壊すのも気の毒で、私は、未だにその実相を言えないで居るのである。その袴を、はいて行きたかった。私にとって、せめて錦衣のつもりなのであった。「おい、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・おまえは、この楯、ゴオルデンよ、と嘘の英語つかいながらも、おまえの見たままの実相あやまたず表現し得た。薬品の害については、おまえよりも私のほうが、よく知って居ります。けれども、おまえは、その楯に、もう一面のあることを、知って置かなければなり・・・ 太宰治 「創生記」
・・・私は、其の実相を、いまやっと知らされた。たしかに、無上のものである。ダヴィンチは、ばかな一こくの辛酸を嘗めて、ジョコンダを完成させたが、むざん、神品ではなかった。神と争った罰である。魔品が、できちゃった。ミケランジェロは、卑屈な泣きべその努・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・ただしく裏切りが行われているか、おそらくは想像を絶するものだ、いかに近い肉親でも友人でも、かげでは必ず裏切って悪口や何かを言っているものだ、人間がもし自分の周囲に絶えず行われている自分に対する裏切りの実相を一つ残らず全部知ったならば、その人・・・ 太宰治 「春の枯葉」
出典:青空文庫