・・・美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。 宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけている。年はもう五十を越しているのであろう、鉄縁のパンス・ネエを・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 今日の宣教師の中に幾人の人格者があるか。宗教家がほんとうに自己の生命を賭して真理のために正義のために争わなかったならば、革命は事実に於て宗教を否定するのである。 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・いつか英国人の宣教師の細君が旧城跡の公園でテントを張って幾日も写生していた事があった。どんなものができているかのぞいてみたくてこわごわ近づくと、十二三ぐらいの金髪の子供がやって来て「アマリ、ソバクルト犬クイツキマース」などと言った。実際そば・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 蒸し暑い夕風の縁側で父を相手に宣教師のようなあつかましさをもって「新俳句」の勝手なページをあけては朗読の押し売りをしたが、父のほうではいっこう感心してくれなかった。たとえば古井戸をのぞけばわっと鳴く蚊かな 杜昌とい・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・然るにどうしたことか、ユンケル氏の宅から少し隔った、今は名を忘れたが、何でもエスで始まった名の女の宣教師の宅へ入ってしまった。その女宣教師も知った人であり、一、二度も私の家に来たこともある人ではあったのだ。ベルを押し、請ぜられて応接間に入り・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・祭司次長、ウィリアム・タッピングという人で、爪哇の宣教師なそうですが、せいの高い立派なじいさんでした、が見兼ねて出て行って、祭司長にならんで立ちました。式場はしいんと静まりました。「諸君、祭司長は、只今既に、無言を以て百千万言を披瀝した・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・明治三年頃印刷されたもので香港の宣教師でも作ったのであろう。“A circle of knowledge, in 200 lessons”と云うのを、漢文訳つきで編輯したものだ。題目を見ると、一層面白い。 上半頁に Lesson 1. ・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・というのは、その我等の主婦はまるで札幌にいるイギリスの独身女宣教師みたいに力を入れない握手をしたのだ。まるきり手を握らないことはソヴェトで珍しくない。だがこういう握手―― ――フランス語おはなしなさいますか? まわりがあまり静かすぎ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ ○二階借り居る家は建築業、下にいつも婆と小さい娘六つ位のこまっちゃくれ「分りましたか、分りましたか」大人の言葉をつかう。赤坂の色街のところのそういう人達の心持とロシア人の生活との錯綜。 ○宣教師 独逸人 赤ら顔の髪なし。 友人・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 宣教師の娘であり、宣教師の妻であって、バックが、中国の民族的自立の必然を認め、中国の民衆の独自性を理解して中国にキリスト教と宣教師とは必要ないものであると公言していることは、実に一つの驚くべき人間的誠実である。彼女はこれらのものの性質・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
出典:青空文庫