・・・の女主人公は、ニューイングランド出の婦人宣教師C女史である。彼女が二十五歳で中国のキリスト教女学校に赴任して来たとき、一番若い、一番美しくてやさしいC女史は、どんなに崇拝の的になったろう。P牧師も、きっと彼女の良人になる人だろうと思われるほ・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・ゆるやかな坂をのぼった処で、黒服、鍔広帽の外国宣教師が、村の子とふざけて居る。日本人の尼僧がつれ立って、礼拝堂から出て来た。大浦の天主堂を見た眼では、明るく出来立てで大きく、どこかに東本願寺というような感がしなくもない。 内部も規模大で・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・Yは、明治十七八年頃渡来したまま帰るのを忘れた宣教師の応接間のような部屋で、至極安定を欠いた表情をして待っている。「――支那的ね」「この位の規模でないと遣って行けないんだな、長崎というところは……」「――駄目でしょう?」「ど・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
中国という国へ、イギリスやアメリカの婦人宣教師が行って、そこで生活するようになってから、何十年の年月が経ったであろう。それらの婦人たちは、それぞれの歴史的な時期で中国の男女の生活を見聞きして、生活の交渉をもって来たわけであ・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・烈しい一図な天性で、東大を卒業するという年に、皆の手をふり切ってアメリカへ行って、やがて宣教師になってしまった。明治三十九年頃かえって来て程なく中耳炎でなくなった。 若い嫂であった母を対手に、子供のための本を書くことを計画して、その思い・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・中国の奥地へ入って、そこで生涯を終ったアメリカ宣教師「闘える使徒」として彼女に描かれている父の娘として、ずっと中国で成長し、アメリカの大学に教育され、中国農業問題研究者として権威をもっていた人の妻であった。 バックは中国の民衆生活の日常・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
・・・ これと略同じ時代、一方に婦人の政治活動が盛んであったと共に、女子教育もアメリカの宣教師たちの指導によって、やはり男女平等を水準として開始された。京都の同志社、東京の明治女学校そのほか仙台、横浜、などに、進んだ女学校が開設された。それら・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・私はフランス語の稽古を始めて、毎日夕食後に馬借町の宣教師の所へ通うことになった。 これが頗る私と君との交際の上に影響した。なぜかと云うに、君が尋ねてきても、私はフランス語の事を話すからである。君は、「フランス語も面白いでしょうが、僕は二・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・そういう視点を持ちながら、キリシタンの宣教師たちが戦国時代末期の日本の武士たちについて書いているところを読むと、なるほどそうであったろうと肯ける点が非常に多いのである。戦国の武士の道義的性格は決して弱いものではなかった。また真実を愛し、迷信・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫