・・・寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者で、病毒に感染することを惧れたのと遊興費が惜しくて、宮川町へも祇園へも行ったことがないというくらいだ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ そして、自分は神戸でダンサーをしていたときに尼崎の不良青年と関係が出来て、それが今まで続いているし、その後京都の宮川町でダンス芸者をしていた頃は、北野の博奕打の親分を旦那に持ったことがあり、またその時分抱主や遣手への義理で、日活の俳優・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ そして、私は放蕩した。宮川町。悔恨と焦躁の響きのような鴨川のせせらぎの音を聴きながら、未知の妓の来るのを待っている娼家の狭い部屋は、私の吸う煙草のけむりで濛々としていた。三条京阪から出る大阪行きの電車が窓の外を走ると、ヘッドライトの灯・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・熱田の八剣森陰より伏し拝みてセメント会社の煙突に白湾子と焼芋かじりながらこのあたりを徘徊せし当時を思い浮べては宮川行の夜船の寒さ。さては五十鈴の流れ二見の浜など昔の草枕にて居眠りの夢を結ばんとすれどもならず。大府岡崎御油なんど昔しのばるゝ事・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・と唖々子はわたしに導かれて、電車通の鰻屋宮川へ行く途すがらわたしに問いかけた。「いや、あの小説は駄目だ。文学なんぞやる今の新しい女はとても僕には描けない。何だか作りものみたような気がして、どうも人物が活躍しない。」 宮川の二階へ上っ・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫