・・・片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て方向を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲き上げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に照りかえされて濛々と渦巻く姿を見せた。仕事場の鞴の囲りには三人の男が働いていた。鉄砧にあたる鉄槌の音が高く響くと・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・それへ向って二町ばかり、城の大手を右に見て、左へ折れた、屋並の揃った町の中ほどに、きちんとして暮しているはず。 その男を訪ねるに仔細はないが、訪ねて行くのに、十年越の思出がある、……まあ、もう少し秘して置こう。 さあ、其処へ、となる・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
成東の停車場をおりて、町形をした家並みを出ると、なつかしい故郷の村が目の前に見える。十町ばかり一目に見渡す青田のたんぼの中を、まっすぐに通った県道、その取付きの一構え、わが生家の森の木間から変わりなき家倉の屋根が見えて心も・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・例のごとく当もなく彷徨歩いていると、いつの間にか町外れへ出た。家並も小さく疎になって、どこの門ももう戸が閉っている。ドーと遠くから響いてくる音、始めは気にも留めなかったが、やがて海の音と分った。私は町を放れて、暗い道を独り浦辺の方へ辿ってい・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ しかし、上ノ宮中学の前を過ぎると、やっと家並が続いて、この一角は不思議に焼け残ったらしい。 この分なら、これから頼って行く細工谷町の友人の家は、無事に残っているかも知れないと、思いながら四ツ辻まで来た時、小沢はどきんとした。 ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ずっと家並みは続いていたが、停電のせいだろう、門燈は消えて、洩れて来る一筋の灯りもなく、真っ暗闇だった。「この先に交番があった筈だが……」 と、小沢がふと呟くと、娘はびっくりしたように、「交番へ行くのはいやです。お願いです」・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・途中自動車の中から、昔のままの軒庇しを出した家並みの通りの中に、何年にも同じ古びさに見える自分らの生れた家がちらと眺められて、自分は気づかないような風をしていたがちょっと悲しい気持を誘われたりした。 本堂の傍に、こうした持込みの場合の便・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・私はそんなところには一種の嗅覚でも持っているかのように、堀割に沿った娼家の家並みのなかへ出てしまった。藻草を纒ったような船夫達が何人も群れて、白く化粧した女を調戯いながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・貼りかえられた白い障子に照っている日の弱さはもう冬だった。家並をはずれたところで私達はとまった。散歩する者の本能である眺望がそこに打ち展けていたのである。 遠い山々からわけ出て来た二つの溪が私達の眼の下で落ち合っていた。溪にせまっている・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。 時どき私はそんな路を歩・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫