・・・ 四肢萎えて、起きあがることさえ容易でなかった。渾身のちからで、起き直り、木の幹に結びつけた兵古帯をほどいて首からはずし、水たまりの中にあぐらをかいて、あたりをそっと見廻した。かず枝の姿は、無かった。 這いまわって、かず枝を捜した。・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・実はこれ程容易な事はない。自分がいなくても好いことは、自分が一番好く知っているのである。「宜しい。それじゃあ、明日邸へ来てくれ給え。何もかも話して聞せるから。」中尉はくるりと背中を向けて、同僚と一しょに店を出て行った。 門口に出ると・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折れる。 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・いくら心配しても、それだけの時間は、飛躍を許さないので、道太は朝まではどうかして工合よく眠ろうと思って、寝る用意にかかったが、まだ宵の口なので、ボーイは容易に仕度をしてくれそうになかった。 道太は少しずつ落ち著いてくると同時に、気持がく・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・頭を綺麗に剃り小紋の羽織に小紋の小袖の裾を端折り、紺地羽二重の股引、白足袋に雪駄をはき、襟の合せ目をゆるやかに、ふくらました懐から大きな紙入の端を見せた着物の着こなし、現代にはもう何処へ行っても容易には見られない風采である。歌舞伎芝居の楽屋・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・其家の財産は太十の縁談を容易に成就させたのであった。二 太十が四十二の秋である。彼は遠い村の姻戚へ「マチ呼バレ」といって招かれて行った。二日目の日が暮れてから帰って来た。隣村の茶店まで来た時そこには大勢が立ち塞って居るのを見・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・男は容易に答えぬ。「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴うる如くに下よりランスロットの顔を覗く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたるまま、当惑の眉を思案に刻む。ややありていう。「戦に臨む事は大小・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・単にそれだけを主張するならば、何事にも反対好きな人は容易に否定するであろうという。デカルトは此に人に説くためにということを主として考えているようであるが、徹底的な懐疑的自覚、何処までも否定的分析ということは、哲学そのものに固有な、哲学という・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その深遠な理由は、思想が人間性の苦悩の底へ、無限に深くもぐりこんで抜けないほどに根を持つて居るのと、多岐多様の複雑した命題が、至るところで相互に矛盾し、争闘し、容易に統一への理解を把握することができないこと等に関聯して居る。ニイチェほどに、・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・よしや仮令いおしゃべり多言にても、僅に此一事を根拠にして容易に離縁とは請取り難し。第七物を盗む心あるは去ると言う。物を盗むにも軽重あり。唯この文字に由て離縁の当否を断ず可らず。民法の親族編など参考にして説を定む可し。 右第一より七に至る・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫