・・・の隣に寄席の「花月」がある。僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭」が・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ おれもお前に貰って、見たが、版がわるい上に、紙も子供の手習いにも使えぬ粗末なもので、むろん黒の一色刷り、浪花節の寄席の広告でも、もう少し気の利いたのを使うと思われるような代物だった。余程熱心に読まねば判読しがたい、という点も勘定に入れ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・と広瀬さんも食堂の内を歩き廻りながら、「お母さんも御承知の通り、今は寄席も焼け、芝居も焼けでしょう。娯楽という娯楽の機関は何もない時です。食物より外に誰も楽みがない。そこでこんな食堂の仕事ならば、まあ成り立つというものです。われわれの方から・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、あれとあんまり違わない。大芸術家になるのもまた、つらいものである。などと茶化し・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・』――『寄席芝居の背景は、約十枚でこと足ります。野面。塀外。海岸。川端。山中。宮前。貧家。座敷。洋館なぞで、これがどの狂言にでも使われます。だから床の間の掛物は年が年中朝日と鶴。警察、病院、事務所、応接室なぞは洋館の背景一つで間に合いますし・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・長兄も、真面目な性質であるから、たまに祖父の寄席のお伴の功などで、うっかり授与されてしまう事があっても、それでも流石に悪びれず、一週間、胸にちゃんと吊り下げている。長女、次男は、逃げ廻っている。長女は、私にはとてもその資格がありませんからと・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・美しい草花、雑誌店、新刊の書、角を曲がると賑やかな寄席、待合、三味線の音、仇めいた女の声、あのころは楽しかった。恋した女が仲町にいて、よく遊びに行った。丸顔のかわいい娘で、今でも恋しい。この身は田舎の豪家の若旦那で、金には不自由を感じなかっ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・それから黒猫やリンデンや抜裏なんぞの寄席にちょいちょい這入って覗いて見た。その外どこかへ行ったが、あとは忘れた。あの時は新しく買った分の襟を一つしていた。リッシュに這入ったとき、大きな帽子を被った別品さんが、おれの事を「あなたロシアの侯爵で・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 欧州のどこかの寄席で或るイタリア人の手先で作り出す影法師を見たことがある。頭の上で両手を交差して、一点の弧光から発する光でスクリーンに影を映すだけのことであるが、それは実に驚くべき入神の技であった。小猿が二匹向かい合って蚤をとり合った・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ むすこのSちゃんに連れられては京橋近い東裏通りの寄席へ行った。暑いころの昼席だと聴衆はほんの四五人ぐらいのこともあった。くりくり坊主の桃川如燕が張り扇で元亀天正の武将の勇姿をたたき出している間に、手ぬぐい浴衣に三尺帯の遊び人が肱枕で寝・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫