・・・ 且又水や寒気などにも肉体的享楽の存することは寒中水泳の示すところである。なおこの間の消息を疑うものはマソヒズムの場合を考えるが好い。あの呪うべきマソヒズムはこう云う肉体的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加わったものである。わたしの信ずる・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と艫で爺さまがいわっしゃるとの、馬鹿いわっしゃい、ほんとうに寒気がするだッて、千太は天窓から褞袍被ってころげた達磨よ。 ホイ、ア、ホイ、と浪の中で、幽に呼ばる声がするだね。 どこからだか分ンねえ、近いようにも聞えれば、遠いようにも聞・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 宗吉はかくてまた明神の御手洗に、更に、氷に閑らるる思いして、悚然と寒気を感じたのである。「くすくす、くすくす。」 花骨牌の車座の、輪に身を捲かるる、危さを感じながら、宗吉が我知らず面を赤めて、煎餅の袋を渡したのは、甘谷の手で。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・彼処を通抜けねばならないと思うと、今度は寒気がした。我ながら、自分を怪むほどであるから、恐ろしく犬を憚ったものである。進まれもせず、引返せば再び石臼だの、松の葉だの、屋根にも廂にも睨まれる、あの、この上もない厭な思をしなければならぬの歟と、・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・も同じ病気に罹ったのであるが、その時は急発であるとともに三週間ばかりで全治したが、今度のはジリジリと来て、長い代りには前ほどに苦しまぬので、下腹や腰の周囲がズキズキ疼くのさえ辛抱すれば、折々熱が出たり寒気がしたりするくらいに過ぎぬから、今の・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 更に垢ぬけているといえば、その寝顔は、ぞっと寒気がするくらいの美少年である。 胸を病む少女のように、色が青白くまつ毛が長く、ほっそりと頬が痩せている。 いわば紅顔可憐だが、しかしやがて眼を覚まして、きっとあたりを見廻した眼は、・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・しかし私は暗と寒気がようやく私を勇気づけて来たのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を予定していた。犇ひしと迫って来る絶望に似たものはだんだん私の心に残酷な欲望を募らせていった。疲労または倦怠が一た・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・突然明い所へ出ると、少女の両眼には涙が一ぱい含んでいて、その顔色は物凄いほど蒼白かったが、一は月の光を浴びたからでも有りましょう、何しろ僕はこれを見ると同時に一種の寒気を覚えて恐いとも哀しいとも言いようのない思が胸に塞えてちょうど、鉛の塊が・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・そして寒気は刺すようで、山の端の月の光が氷っているようである。僕は何とも言えなく物すごさを感じた。 船がだんだん磯に近づくにつれて陸上の様子が少しは知れて来た。ここはかねて聞いていたさの字浦で、つの字崎の片すみであった。小さな桟橋、桟橋・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
出典:青空文庫