・・・ この寛闊な気象は富有な旦那の時代が去って浅草生活をするようになってからも失せないで、画はやはり風流として楽んでいた、画を売って糊口する考は少しもなかった。椿岳の個性を発揮した泥画の如きは売るための画としてはとても考え及ばないものである・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・二年振りで横浜へ上陸して、埠頭から停車場へ向かう途中で寛闊な日本服を着て素足で歩いている人々を見た時には、永い間カラーやカフスで責めつけられていた旅の緊張が急に解けるような気がしたが、この心持は間もなく裏切られてしまわねばならなかった。その・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・日本の家庭の中に根づよい男の威張りや主張の癖に対して、こういう今日の若い人の心理は、事実上決してより新しく寛闊な家庭生活の習俗を生み出してゆくモメントとはならないのである。 菓子を食べるにしろ、店の飾窓に大きいパイが並んでいて家へみんな・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
・・・社会の一般文化の現実が比較的貧寒であって、科学の諸分野そのものの到達点、そのものの理解、利用面が十分柔軟寛闊に開拓されておらず、同時に所謂科学というものが、旧式の考えかたで、そこに作用する人間性を全く排除しているため、勢い科学と文学との手近・・・ 宮本百合子 「文学のひろがり」
・・・ 建築技師であった父は明治初年の寛闊な空気のなかに青年時代をすごして、死ぬまで一種の自由主義者であった。母も、女だから、という社会の習慣的なひけめには、観念的であり矛盾ももちながら抵抗しつづけたひとであった。そのために、わたしが十三とな・・・ 宮本百合子 「私の青春時代」
出典:青空文庫