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・・・宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝が出で、天明年代に京伝、文化文政に三馬、春水、天保に寺門静軒、幕末には魯文、維新後には服部撫松、三木愛花が現れ、明治廿年頃から紅葉山人が出た。以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗・・・
永井荷風
「正宗谷崎両氏の批評に答う」
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・・・長命寺門前の地を新に言問ヶ岡と称してここに言問団子を売る店のできたのもまたこの時分である。言問団子の主人は明治十一年の夏七月より秋八月の末まで、都鳥の形をなした数多の燈籠を夜々河に流して都人の観覧に供した。成島柳北は三たびこの夜の光景を記述・・・
永井荷風
「向嶋」