・・・ 私小説的リアリズムを否定したからと云って、いきなりシュール・リアリズムと社会主義的リアリズムとが対決をもとめられるという現実もあり得まい。社会主義的リアリズムは、度のくるった近眼鏡のように一定の距離をもって遠くにあるものを目まいのする・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・社会と個人の対決という、流行の窒息的な固定観念について多弁であることでもなくて、さながら一個の部分品であるかのように扱われているわれわれの人間的存在に関する、社会の前後左右の繋り、上下の繋りを、歴史の流れにおいて把握し、描き出してゆく能力の・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ソヴェト作家シーモノフは、このアメリカの巨大な有機体のなかに入って、自身の社会主義的自覚を、自身の人間的内在性すべての亢奮をとおし、自然発生の諸眩惑と誘惑とをとおして、対決させないわけにはゆかない。自身の理性の最大を働かすだけの刺戟をうける・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・それだけ限界は日常から拡大され、群としての人間精神の類型との対決の時期に立ち到っているのである。 広津和郎の「懐疑に耐える精神の強靭性」の破たん そういう統一や調和が単純に見えるひとは、そのような統一や調和をもって 精神が立ち向わ・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・いうことでこれまでだって十分知っていた筈の働かせる者と働く者との関係が、その顔つきと声と体温との具体性によって実感され、字で読んで分っていたとは違う人間感銘によって自分の人間としての社会的存在の場処を対決させられる。そのなまなましさ、その同・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・その現実の認識に向って青春のヒューマニティーが対決させられるとき、そこに湧く思いこそは、アルバイトして勉学している学生の日々をゆすぶっている日本の青春のひとすじの熱い思いにつながるのである。〔一九五〇年十二月〕・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
・・・ いま十六になったわかい人たちのなかで、少し考えるひとは、その二つの姿に、自分たちはどう生きようとしているか、という課題を対決させずにはいられない状況に生きている。そこに、深い不安がある。はやく自分の力で生きるようになりたい。こんなにも・・・ 宮本百合子 「若い人たちの意志」
・・・ろへ押し出しているし、女の心持もいつしか女が好む好まないにかかわらず、変って来ていて、自分としての生活や成長にも思いをかけるようになっているのに、他の現実は男の古風な面、女のそれに準ずる面で実際条件の対決を迫っているのである。言葉をかえて云・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・次の『道草』においても利己主義は自己の問題として愛との対決を迫られている。この作で特に目につくのは、主人公の我がいかに頑固に骨に食い入っているかをその生い立ちによって明らかにしたこと、夫や妻やその他の人々の利己主義を平等に憎んでいること、そ・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫