・・・ 神山は浅川の叔母に一礼してから、懐に入れて来た封書を出した。「御病人の方は、少しも御心配には及ばないとか申して居りました。追っていろいろ詳しい事は、その中に書いてありますそうで――」 叔母はその封書を開く前に、まず度の強そうな・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・今西は冷かに目礼すると、一通の封書を残したまま、また前のように音もなく、戸の向うの部屋へ帰って行った。 戸が今西の後にしまった後、陳は灰皿に葉巻を捨てて、机の上の封書を取上げた。それは白い西洋封筒に、タイプライタアで宛名を打った、格別普・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・なお、売れても売れなくても、必ず四十円の固定給は支給する云々の条件に、申し分がなく、郵便屋がこぼすくらい照会の封書や葉書が来た。 早速丹造は返事を出して曰く、――御申込みにより、貴殿を川那子商会支店長に任命する。ついては身元保証金として・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・されどもいささか思い定むるよし心中にあれば頑として屈せず、他の好意をば無になして辞して帰るやいなや、直ちに三里ほど隔たれる湯の川温泉というに到り、しこうして封書を友人に送り、此地に来れる由を報じおきぬ。罪あらば罪を得ん、人間の加え得る罪は何・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・同封仕リ候。封書、葉書、御意ノ召スガママニ御染筆ネガイ上候。ナオマタ、切手、モシクハ葉書、御不用ノ際ハソノママ御返送ノホドオ願イ申上候。太宰治殿。清瀬次春。二伸。当地ハ成田山新勝寺オヨビ三里塚ノ近クニ候エバ当地ニ御光来ノ節ハ御案内仕ル可ク候・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ただ旧師マードック先生から同じくこの事件について突然封書が届いた時だけは全く驚ろかされた。 マードック先生とは二十年前に分れたぎり顔を合せた事もなければ信書の往復をした事もない。全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・の上を見ると、薄紫色の状袋の四隅を一分ばかり濃い菫色に染めた封書がある。我輩に来た返事に違いない。こんな表の状袋を用るくらいでは少々我輩の手に合わん高等下宿だなと思ながら「ナイフ」で開封すると、「御問合せの件に付申上候。この家はレデーの所有・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・政府と最も近い関係にある面での物価が、三倍からそれ以上につり上げられて、逓信院ではハガキ二十五銭、封書五十銭にしようとしている。 これらは、実におどろくべきことである。人民の使える金は、「五人家族五百円標準」ときめて、金を銀行、郵便局へ・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・ 私は、床の上に起きあがって封書を持ったまましばらくは私からと云う事をうたがって、やがて私の癖の多いのたくった様な字を見きわめてから一方のはじをきるに違いない。 何事でも用心深くやって行くあの人の気だてが出て来るのであろう。 あ・・・ 宮本百合子 「ひととき」
これまで、郵便切手というものは、私たちのつましい生活と深いつながりのある親しみぶかいものであった。三銭の切手一枚で封書が出せた頃、あのうす桃色の小さい四角い切手は、都会に暮しているものに故郷のたよりを、田舎に住んでいるもの・・・ 宮本百合子 「郵便切手」
出典:青空文庫