・・・ 私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、袂につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考えている。そうし・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・その原稿在中の重い封筒を、うむと決意して、投函する。ポストの底に、ことり、と幽かな音がする。それっきりである。まずい作品であったのだ。表面は、どうにか気取って正直の身振りを示しながらも、その底には卑屈な妥協の汚い虫が、うじゃうじゃ住んでいる・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ほかにクリイム、三十五銭。封筒、三十一銭などの買い物をして帰った。 帰って暫くすると、早大の佐藤さんが、こんど卒業と同時に入営と決定したそうで、その挨拶においでになったが、生憎、主人がいないのでお気の毒だった。お大事に、と私は心の底から・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・っさに、うまい嘘も思いつかず、私は隣室の家の者には一言も、何も言わず、二重廻しを羽織って、それから机の引出しを掻きまわし、お金はあまり無かったので、けさ雑誌社から送られて来たばかりの小為替を三枚、その封筒のまま二重廻しのポケットにねじ込み、・・・ 太宰治 「父」
・・・ 二、三日経ってから、私のあの二通の手紙が大きい封筒にいれられて書留郵便でとどけられました。私には、まだ、かすかに一縷の望みがあったのでした。もしかしたら、私の恥を救ってくれるような佳い言葉を、先生から書き送られて来るのではあるまいか。・・・ 太宰治 「恥」
・・・菊代さん、まあいいから、その封筒はそちらへ引込めて下さい。菊代、封筒を持てあまして、それを、傍の学童の机の上にそっと置く。 御承知のように、僕のところは貧乏です。ひどく貧乏です。どんな人でも、僕の家に間借りして、同じ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・眩しいような瓦斯燈の下に所狭く並べた絵具や手帳や封筒が美しい。水色の壁に立てけけた真白な石膏細工の上にパレットが懸って布細工の橄欖の葉が挿してある。隅の方で小僧が二人掛け合いで真似事の英語を饒舌っている。竹村君は前屈みになって硝子箱の中に並・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・そのハトロン封筒の手紙も、気がすすまないのである。小野は東京で時事新報の植字部に入っていた。小野のほかに、熊本出の仲間であるTや、Nや、Kやも、東京のあちこちの印刷工場にはたらいていた。そして「時事にはいれるようにするから出てこい」と小野は・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ オオビュルナン先生はしずかに身を起して、その手紙を持って街に臨んだ窓の所に往って、今一応丁寧に封筒の上書を検査した。窓の下には幅の広い長椅子がある。先生は手紙をその上に置いて自身は馬乗りに椅子に掛けた。そして気の無さそうに往来を見卸し・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そして桃いろの封筒へ入れて、岩手郡西根山、山男殿と上書きをして、三銭の切手をはって、スポンと郵便函へ投げ込みました。「ふん。こうさえしてしまえば、あとはむこうへ届こうが届くまいが、郵便屋の責任だ。」と先生はつぶやきました。 あっはっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
出典:青空文庫