・・・これは駄菓子屋に売っている行軍将棋の画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命した。ここにその任命を公表すれば、桶屋の子の平松は陸軍少将、巡査の子の田宮は陸軍大尉、小間物屋の子の小栗はただの工兵、堀川保吉は地雷火・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・と交る交るいって、向合って、いたいたけに袖をひたりと立つと、真中に両方から舁き据えたのは、その面銀のごとく、四方あたかも漆のごとき、一面の将棋盤。 白き牡丹の大輪なるに、二ツ胡蝶の狂うよう、ちらちらと捧げて行く。 今はたとい足許が水・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・茶の湯などの面白味が少しでも解る位ならば、そんな下等な馬鹿らしい遊びが出来るものでない、故福沢翁は金銭本能主義の人であったそうだが、福翁百話の中には、人間は何か一つ位道楽がなくてはいけない、碁でも将棋でもよい、なんにも芸も道楽もない人間・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向かい合って将棋を差していました。 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・ 坂を降りて北へ折れると、市場で、日覆を屋根の下にたぐり寄せた生臭い匂いのする軒先で、もう店をしもうたらしい若者が、猿股一つの裸に鈍い軒灯の光をあびながら将棋をしていましたが、浜子を見ると、どこ行きでンねンと声を掛けました。すると、浜子・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。 坂田は無学文盲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・落ちというのは、いわば将棋の詰手のようなものであろう。どんな詰将棋にも詰手がある筈だ。詰将棋の名人は、詰手を考える時、まず第一の王手から考えるようなことはしない。盤のどのあたりで王が詰まるかと考える。考えるというよりも、最後の詰み上った時の・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・彼等は居心地が良いのか、あるいは居坐りで原稿を取るつもりか、それとも武田さんの傍で時間をつぶすのがうれしいのか、なかなか帰ろうとせず、しまいには記者同志片隅に集って将棋をしたり、昼寝をしたりしていた。 武田さんはそれらの客にいちいち相手・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・その発表をきいた時、私は将棋を想いだした。高段者の将棋では王将が詰んでしまう見苦しいドタン場まで指していない。防ぎようがないと判ると潔よく「もはやこれまで」と云って、駒を捨てるのが高段者のたしなみである。「日本も遂にもはやこれまでと言っ・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・親子五人食うや呑まずの苦しい暮しが続いた恵まれぬ将棋指しとしての荒い修業時代、暮しの苦しさにたまりかねた細君が、阿呆のように将棋一筋の道にしがみついて米一合の銭も稼ごうとせぬ亭主の坂田に、愛想をつかし、三人のひもじい子供を連れて家出をし、う・・・ 織田作之助 「勝負師」
出典:青空文庫