・・・十六むさし、将棋の駒の当てっこなどしてみたが気が乗らぬ。縁側に出て見ると小庭を囲う低い土塀を越して一面の青田が見える。雨は煙のようで、遠くもない八幡の森や衣笠山もぼんやりにじんだ墨絵の中に、薄く萌黄をぼかした稲田には、草取る人の簑笠が黄色い・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・私が林の家へいって、林の妹と三人で「兵隊将棋」をしたり、百人一首をしたり、饅頭など御馳走になったりしたことがあるが、たいていは林が私の家へくる方が多かった。だって私は妹の守りをすることもあるし、忙がしいのだから、一緒になるにはそれより方法が・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・殖産に不適当なる人物なれば、いかなる卓識の先生も、いかなる専門芸能の学士も、碁客将棋師に等しくして、とても一家の富を起すに足らず。一家富まざれば一国富むの日あるべからず。教育の目的、齟齬したるものというべし。 日本の教育がなにゆえにかく・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・たとえば将棋をするといつも殿様が勝てるようにする。そこで俺が勝つばかりでは詰らない、少しは負かしてみろというと、今度は機械的に負ける。つまり人間らしいむき出しの交渉がない。忠直卿は激しくて何でも人間の本当のものにふれてみたいのですから、今度・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・そして、岩波の『文学』、『教育』、『哲学』が、博文館の将棋の友とかいう娯楽の雑誌と同じ類別にくまれて投票されていたとおぼえる。「研究」という内容は様々で、中学生の英語の研究と、斎藤茂吉氏の柿本人麿の研究とはおのずから異っているのが現実で・・・ 宮本百合子 「日本文化のために」
・・・ ゴーリキイの原稿、それから一九〇五年にゴーリキイが宣伝文をかいたというために検挙されたペテロパヴロフスクの要塞監獄の監房の写真、さらにトルストイやチェホフなどとあつまっている記念写真、レーニンと西洋将棋をさしている写真など興味ふかいものが・・・ 宮本百合子 「私の会ったゴーリキイ」
・・・ 馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、将棋を三番さして負け通した。「何に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂を脱れた日の光は、彼の腰から、円い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。 三 宿場の・・・ 横光利一 「蠅」
・・・俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他人生のいろいろな面についてそうであった。そういう味は説明したところで他の人にわかるものではない。味わうのはそれぞれの当人なのであるから、当人が味わうはたらきをしない限り、ほかからはなんともいた・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫