・・・といって刃物を取出して取る訳にも行かない。小指でしっかり竿尻を掴んで、丁度それも布袋竹の節の処を握っているからなかなか取れません。仕方がないから渋川流という訳でもないが、わが拇指をかけて、ぎくりとやってしまった。指が離れる、途端に先主人は潮・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・その時女が箸を机の上におくと今虱が這いでてきたところが、かゆいらしく、顎を胸にひいて、後首をのばし、小指でちょっとかいた。龍介はだまっていた。虱はそれから少し今来た方へもどりかけたが、すぐやめて、今度は襦袢と二枚目の着物との間に入っていった・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・親指と小指と、そして襷がけの真似は初やがこと。その三人ともみんな留守だと手を振る。頤で奥を指して手枕をするのは何のことか解らない。藁でたばねた髪の解れは、かき上げてもすぐまた顔に垂れ下る。 座敷へ上っても、誰も出てくるものがないから勢が・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されている、と人もおのれも許していた。その男が、或る微妙な罪名のもとに、牢へいれられた。牢へはいっても、身だしなみがよかった。男は、左肺を少し悪くしていた。 検事は、男を、病気も重・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・大将は、左手で盃を口に運びながら、右手の小指で頭を掻いた。「委せられております。」「うむ。」先生は深くうなずいた。 それから先生と大将との間に頗る珍妙な商談がはじまった。私は、ただ、はらはらして聞いていた。「ゆずってくれるでしょ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・僕は、小指のさきで泡のうえの虫を掬いあげてから、だまってごくごく呑みほした。「貧すれば貪すという言葉がありますねえ。」青扇はねちねちした調子で言いだした。「まったくだと思いますよ。清貧なんてあるものか。金があったらねえ。」「どうした・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私は貴方の右足の小指の、黒い片端爪さえ知っているのですよ。この五葉の切りぬきを、貴方は、こっそり赤い文箱に仕舞い込みました。どうです。いやいや、無理して破ってはいけません。私を知っていますか? 知る筈は、ない。私は二十九歳の医者です。ネオ・・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「拷問」の不合理を諷諌し、実験心理的な脈搏の検査を推賞しているなども、その精神においては科学的といわれなくはないであろう。「小指は高くゝりの覚」で貸借の争議を示談させるために借り方の男の両手の小指をくくり合せて封印し、貸し方の男には常住坐臥・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・どうしたのか無気味に大きくふくれた腹の両側にわれわれの小指ぐらいなあと足がつっかい棒のように突っ張っていた。なんとなしにすすきの穂で造ったみみずくを思い出させるのであった。 三毛は明らかな驚きと疑いと不安をあらわしてこの新参の仲間を凝視・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・と思うと奇麗な足の爪が半分ほど餌壺の縁から後へ出た。小指を掛けてもすぐ引っ繰り返りそうな餌壺は釣鐘のように静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精のような気がした。 文鳥はつと嘴を餌壺の真中に落した。そうして二三度左右に振っ・・・ 夏目漱石 「文鳥」
出典:青空文庫