・・・番号は小石川の×××番だから、――」 賢造の言葉が終らない内に、洋一はもう茶の間から、台所の板の間へ飛び出していた。台所には襷がけの松が鰹節の鉋を鳴らしている。――その側を乱暴に通りぬけながら、いきなり店へ行こうとすると、出合い頭に向う・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・一日予は渠とともに、小石川なる植物園に散策しつ。五月五日躑躅の花盛んなりし。渠とともに手を携え、芳草の間を出つ、入りつ、園内の公園なる池を繞りて、咲き揃いたる藤を見つ。 歩を転じてかしこなる躑躅の丘に上らんとて、池に添いつつ歩めるとき、・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。この・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 四月二日朝、おせいは小石川のある産科院で死児を分娩した。それに立合った時の感想はここに書きたくない。やはり、どこまでも救われない自我的な自分であることだけが、痛感された。粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、もはや八・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・処が十日ばかり前に小石川から来て私に妾になれと言わないばかりなのよ、あのお前の思案一つでお梅や源ちゃんにも衣服が着せてやられて、甘味ものが食べさされるッて……」「それで妾になれって?」お富は眼まぶちを袖で摩って丸い眼を大きくして言った。・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・午後に、熊吉は小石川方面から戻って来た。果して、弟は小間物屋の二階座敷におげんと差向いで、養生園というところへ行ってきたことを言い出した。江戸川の終点まで電車で乗って行くだけでもなかなか遠かったと話した。「それは御苦労さま。ゆうべもお前・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・、おのおの何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷のほとんど全部、本郷、小石川、赤坂、芝の一部分が、まるで影も形・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ ことし四月四日に私は小石川の大先輩、Sさんを訪れた。Sさんには、私は五年前の病気の時に、ずいぶん御心配をおかけした。ついには、ひどく叱られ、破門のようになっていたのであるが、ことしの正月には御年始に行き、お詫びとお礼を申し上げた。それ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・「学校はどこ……小石川?、○○? △△?……」などと女学校の名前らしいものを列挙していたが生徒のほうではだれもはっきりした答えを与えないでただ笑っていた。どうして小石川という見当をつけたかが私には不思議に思われた。それぞれのエキスパートが品・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・明暦三年の振袖火事では、毎日のように吹き続く北西気候風に乗じて江戸の大部分を焼き払うにはいかにすべきかを慎重に考究した結果ででもあるように本郷、小石川、麹町の三か所に相次いで三度に火を発している。由井正雪の残党が放火したのだという流言が行な・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
出典:青空文庫