・・・男はこの女を既に見知っているので、少なくとも五、六度はその女と同じ電車に乗ったことがある。それどころか、冬の寒い夕暮れ、わざわざ廻り路をしてその女の家を突き留めたことがある。千駄谷の田畝の西の隅で、樫の木で取り囲んだ奥の大きな家、その総領娘・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・これは少なくとも一顧に値するだけの問題にはなると思う。 私はこれらの問題をいつかもう少し立ち入って考えてみたいと思っている。この一編はただ一つの予報のようなものに過ぎない事を断わっておきたい。・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・それはとにかくアフリカ映画でこれらのたくさんな動物の群れの中に交じった少数な人間の群れを見ると、アフリカの原野では少なくとも動物も人間も対等の存在であるという感じがする。それをいわゆる文明人が出かけて行って単なる娯楽のためにムザムザ殺すのが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・こういう生活は少なくとも大多数の日本の都人士には到底了解のできない不思議な生活である。 ベナレスの聖地で難行苦行を生涯の唯一の仕事としている信徒を、映画館から映画館、歌舞伎から百貨店と、享楽のみをあさり歩く現代文明国の士女と対照してみる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 庵りというと物寂びた感じがある。少なくとも瀟洒とか風流とかいう念と伴う。しかしカーライルの庵はそんな脂っこい華奢なものではない。往来から直ちに戸が敲けるほどの道傍に建てられた四階造の真四角な家である。 出張った所も引き込んだ所もな・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・荷うのが正当であるのに、他の学者は木村博士の表彰前と同じ暗黒な平面に取り残されて、ただ一の木村博士のみが、今日まで学者間に維持せられた比較的位地を飛び離れて、衆目の前に独り偉大に見えるようになったのは少なくとも道義的の不公平を敢てして、一般・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・だが文学は内容を新たにして今日に至り、現実を、現象的につかんでだけ書き得る所謂悲劇は、高められている、否、高められる可能性に立っていると少なくとも私は自身の文学の前面にそのようなものを感じているのだけれど。 これはこうかくと平凡のようだ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 若い――少なくともまだ働ける年の男が油ぎったふとった赤い顔をして神官をして居るのはほんとうにふつりあいな気持の悪いものだ、とも私は感じもし云いもする。 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・もとより洋画家の内にもこの事に成功した名人は少なくないが、――そうして洋画によって成功した方が結果は偉大であると思うが、――少なくとも日本画家の方がより多くこの種の画題を選むだけ、それだけこのことが困難でないという印象を日本画家に与えている・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・反対に人間の数は少なくとも、著しく目につくものがある。自動車を飛ばせて行く官吏、政治家、富豪の類である。帝国ホテルが近いから夕方にでもなれば華やかに装った富豪の妻や娘もそれに混じるであろう。公共の任務のために忙しく自動車を駆るものは致し方が・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫