・・・何でも平押しにぐいぐい押しつけて行く所がある。尤もその押して行く力が、まだ十分江口に支配され切っていない憾もない事はない。あの力が盲目力でなくなる時が来れば、それこそ江口がほんとうの江口になり切った時だ。 江口は過去に於て屡弁難攻撃の筆・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
宇野浩二は聡明の人である。同時に又多感の人である。尤も本来の喜劇的精神は人を欺くことがあるかも知れない。が、己を欺くことは極めて稀にしかない人である。 のみならず、又宇野浩二は喜劇的精神を発揮しないにもしろ、あらゆる多・・・ 芥川竜之介 「格さんと食慾」
・・・小作者らはけげんな顔をしながらも、場主の言葉が途切れると尤もらしくうなずいた。やがて小作者らの要求が笠井によって提出せらるべき順番が来た。彼れは先ず親方は親で小作は子だと説き出して、小作者側の要求をかなり強くいい張った跡で、それはしかし無理・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・一応尤もに聞えるよ。しかしあの理窟に服従すると、人間は皆死ぬ間際まで待たなければ何も書けなくなるよ。歌は――文学は作家の個人性の表現だということを狭く解釈してるんだからね。仮に今夜なら今夜のおれの頭の調子を歌うにしてもだね。なるほどひと晩の・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ この経験がある。 水でも飲まして遣りたいと、障子を開けると、その音に、怪我処か、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡をしていたのであった。……憎くない。 尤もなかなかの悪戯もので、逗子の三太郎…・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・棋でもよい、修養を持って始めて味い得べき芸術ならば何でもよい、只其名目を弄んで精神を味ねば駄目と云う迄である、予が殊に茶の湯を挙たのは、茶の湯が善美な歴史を持って居るのと、生活に直接で家庭的で、人間に尤も普遍的な食事を基礎として居る点が、最・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・かすり傷ぐらい受けたて、その血が流れとるのを自分は知らんのやし、他人も亦それが見えんのも尤もや。強い弾丸が当って、初めて気が付くんや。それに就いて面白い話がある。僕のではない、他の中隊の一卒で、からだは、大けかったけど、智慧がまわりかねた奴・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後に京都の丸山に転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和貞享頃には最う上・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この意味から云っても現在の知識階級が尤も眼ざめなくてはならぬ事である。私はこの点に関して特に小学校教師養成機関に就て論じたい事もあるが、今は割愛したい。 露西亜の現状に於て、外の事はともかく子供の教育上に於ては私は涙ぐましい気がする。大・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
・・・何故と云えば、俺は、ソレ倒れたのだ。尤もこれは瞭とせぬ。何でも皆が駈出すのに、俺一人それが出来ず、何か前方が青く見えたのを憶えているだけではあるが、兎も角も小山の上の此畑で倒れたのだ。これを指しては、背低の大隊長殿が占領々々と叫いた通り、此・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫