・・・尤も今でも防疫に警戒しているが、衛生の届かない昔は殆んど一年中間断なしに流行していた。就中疱瘡は津々浦々まで種痘が行われる今日では到底想像しかねるほど猛列に流行し、大名高家は魯か将軍家の大奥までをも犯した。然るにこの病気はいずれも食戒が厳し・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 就中、社員が度々不平を鳴らし、かつ実際に困らせられたのは沼南の編輯方針が常にグラグラして朝令暮改少しも一定しない事だった。例えば甲の社員の提言を容れて直ぐ実行してくれと命じたものを乙の社員の意見でクルリと飜えして肝腎の提言者に通告もし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・魂を埋却す 犬江親兵衛多年剣を学んで霊場に在り 怪力真に成る鼎扛ぐべし 鳴鏑雲を穿つて咆虎斃る 快刀浪を截つて毒竜降る 出山赤手強敵を擒にし 擁節の青年大邦に使ひす 八顆の明珠皆楚宝 就中一顆最も無双 妙椿八・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 二葉亭はヘルチェンやバクーニンを初め近世社会主義の思想史にほぼ通じていた。就中ヘルチェンは晩年までも座辺から全集を離さなかったほど反覆した。マルクスの思想をも一と通りは弁えていた。が、畢竟は談理を好む論理遊戯から愛読したので、理解者で・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 長い間、児童等の生活は、その責任と義務を、家庭と学校に委して、社会は、深く立入ることなくして過ぎて来ました。就中、家庭において、支配する者の意志と感情が、直接支配される者の上に向けられぬはずはなかったのです。昔から、手の下の罪人という・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・入ろうと思った途端、其処に誰も居ないものが、スーウと格子戸が開いた時は、彼も流石に慄然としたそうだが、幸に女房はそれを気が付かなかったらしいので、無理に平気を装って、内に入ってその晩は、事なく寝たが、就中胆を冷したというのは、或夏の夜のこと・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ この阿呆をはじめとして、私の周囲には佃煮にするくらい阿呆が多かった。就中、法科志望の点取虫の多いのには、げっそりさせられた。彼等は教師の洒落や冗談までノートに取り、しかもその洒落や冗談を記憶して置く必要があるかどうか、即ちそれが試験に・・・ 織田作之助 「髪」
・・・生私を愛してくれた人々、私に親しくしてくれた人々は、斯くあるべしと聞いた時に如何に其真偽を疑い惑ったであろう、そして其真実なるを確め得た時に、如何に情けなく、浅猿しく、悲しく、恥しくも感じたであろう、就中て私の老いたる母は、如何に絶望の刃に・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・僕等三人は春浪さんがまだ早稲田に学んでいた頃から知合っていた間柄なので、挨拶もせずに二階へ上ったことを失礼だとは思っていなかった。就中僕は西洋から帰ってまだ間もない頃のことであったから、女連のある場合、男の友達へは挨拶をせぬのが当然だと思っ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心理的にははなはだ厭なものである。就中最も厭なものはどんな好な道でもある程度以上に強いられてその性質がしだいに嫌悪に変化する時にある。ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上そ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
出典:青空文庫