・・・が、戸口へも届かない内に、どたりと尻餅をついてしまう。一同どっと笑い立てる。主人 こんな事だろうと思ったよ。第一の農夫 干里どころか、二三間も飛ばなかったぜ。第二の農夫 何、千里飛んだのさ。一度千里飛んで置いて、また千里・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・金三も不意を食ったせいか、いつもは滅多に負けた事のないのが、この時はべたりと尻餅をついた。しかもその尻餅の跡は百合の芽の直に近所だった。「喧嘩ならこっちへ来い。百合の芽を傷めるからこっちへ来い。」 金三は顋をしゃくいながら、桑畑の畔・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・ と唐突に躍り上って、とんと尻餅を支くと、血声を絞って、「火事だ! 同役、三右衛門、火事だ。」と喚く。「何だ。」 と、雑所も棒立ちになったが、物狂わしげに、「なぜ、投げる。なぜ茱萸を投附ける。宮浜。」 と声を揚げた。・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・幾度遣っても笥の皮を剥くに異ならずでありまするから、呆れ果ててどうと尻餅、茫然四辺をみまわしますると、神農様の画像を掛けた、さっき女が通したのと同じ部屋へ、おやおやおや。また南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と耳に入ると、今度は小宮山も釣込まれて、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ね、酔ってるものだからヒョロヒョロして、あの大きな体を三味線の上へ尻餅突いて、三味線の棹は折れる、清元の師匠はいい年して泣き出す、あの時の様子ったらなかったぜ、俺は今だに目に残ってる……だが、あんな元気のよかった父が死んだとは、何だか夢のよ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・とか「どすんと尻餅ついた」とか、どぎつくて物騒で殺風景な聯想を伴うけれども、しかし、耳に聴けば、「だす」よりも「どす」の方が優美であることは、京都へ行った人なら、誰でも気づくに違いない。いや、京都の言葉が大阪の言葉より柔かく上品で、美しいと・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 私は立ったまま尻餅ついていた。 早速買った。いそいそとして買ったのである。そして、その時計を小包にして武田さんに送るという思いつきにソワソワしながら、おそくまで夜店をぶらついていた。私は二円五十銭で買ったが、武田さんのことだから二・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・今度は片肱をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・とお光が運ぶ鮨の大皿を見ながら、ひょろついて尻餅をついて、長火鉢の横にぶっ坐った。「おやまあ可いお色ですこと」と母は今自分を睨みつけていた眼に媚を浮べて「何処で」「ハッハッ……それは軍事上の秘密に属します」と軍曹酒気を吐いて「お茶を・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ とおげんは言って、誰に遠慮もない小山の家の奥座敷に親子してよく寛いだ時のように、身体を横にして見、半ば身体を起しかけて見、時には畳の上に起き直って尻餅でも搗いたようにぐたりと腰を落して見た。そしてその度に、深い溜息を吐いた。「わた・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫