・・・ 明治の初期の文学では、江戸末期の戯作者風な作者と黎明期の啓蒙書・翻訳文学が対立したが、尾崎紅葉の硯友社時代には、仏文学の影響やロシア文学の影響をもちながら、作家気質の伝統は戯作者気質の筋をひいていた。坪内逍遙の「当世書生気質」は、日本・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。中村武羅夫の論文がこの運動をまとめるきっかけとなったことは興味がある。自然主義の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
尾崎秀実氏が獄中から書かれた書簡集がまとめられることになった。それについて、短い文章を書くようにとの依頼をうけた。 尾崎氏とその家族のために、永年心をつくしていられる友人たちは、決して少くないのである。それを思うと、私・・・ 宮本百合子 「人民のために捧げられた生涯」
・・・治安維持法時代から特高として働いてきたツゲ事務官は、尾崎秀実の例をひいて「彼は遂に刑場の露と消えた。彼は真実に生きていた。最後まで真実を主張して自分の真理に生きた。そうして彼は牢獄において手記を残して行った。お前は小説に書かれるか。そこまで・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・ ハリウッドに開かれるMRAの大会に日本代表として尾崎咢堂の令嬢夫妻や三井一門の一家族が出発するときいて、わたしたちはおどろきを感じなかったろうか。デンマークでMRAはナチ占領下で平和と民族の自由のためにさまざまの活動をした。戦争の苦し・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・の結成 噂のとおり、文芸懇話会が、最後に川端康成氏と尾崎士郎氏とに授賞して、十六日解散した。懇話会の主宰者・元警保局長松本学氏談として、帝国芸術院が出来上って、政府もわれわれの考えるような文化への態度を明らかにして来たから、芸術院に・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
九十歳の尾崎行雄が、きこえない耳にイヤ・ホーンをつけて、「ちょっととなりへ行くつもりで」アメリカへ行った。九十歳まで生きている人間そのものが、アメリカで珍らしいわけもない。「日本の憲政」の神様とよばれた彼が九十であるところ・・・ 宮本百合子 「長寿恥あり」
・・・ 今日の文学の課題 尾崎士郎◎一つの慾望が今度はしっかりと決定するかと思われながらつねに他のものに還ってゆくことが暗示されている、――凡ゆる衝動が永遠の変化の中で相互にもつれている。p.259○彼等が慾求するのは 慾望の・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・ 宇野千代氏が、作家尾崎士郎氏との生活をやめた心持も他のことをぬいて、その面からだけ見て、理解しがたいものとは映らなかった。 私はそれ等のことを主として、作家としての完成というものも個人的な立場だけに立っているうちはその可能にどんな・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
・・・しかしそれよりも深く人心に銘記せられているのは、太郎が東京で最も美しい芸者だと云う事であった。尾崎紅葉君が頬杖を衝いた写真を写した時、あれは太郎の真似をしたのだと、みんなが云ったほど、太郎の写真は世間に広まっていたのである。その紅葉君で思い・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫