・・・ 兄は尾張町の角へ出ると、半ば独り言のようにこう云った。「だから一高へはいりゃ好いのに。」「一高へなんぞちっともはいりたくはない。」「負惜しみばかり云っていらあ。田舎へ行けば不便だぜ。アイスクリイムはなし、活動写真はなし、―・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・自働車はちょうど人通りの烈しい尾張町の辻に止まっている。「では皆さん、さようなら。」 数時間の後、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの肥った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることで・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・(このピヤノは後に吉原の彦太楼尾張屋の主人が買取った。この彦太楼尾張屋の主人というは藐庵や文楼の系統を引いた当時の廓中第一の愚慢大人で、白無垢を着て御前と呼ばせたほどの豪奢を極め、万年青の名品を五百鉢から持っていた物数寄であった。ピヤノを買・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・―― 空は晴れて月が出ていた。尾張町から有楽町へゆく鋪道の上で自分は「奎吉!」を繰り返した。 自分はぞーっとした。「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔付がいつか異うものに代っていた。不吉を司る者――そう言ったものが自分に呼びかけ・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・すこし逆上せる程の日光を浴びながら、店々の飾窓などの前を歩いて、尾張町まで行った。広い町の片側には、流行の衣裳を着けた女連、若い夫婦、外国の婦人なぞが往ったり来たりしていた。ふと、ある店頭のところで、買物している丸髷姿の婦人を見掛けた。・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・すきやばし。尾張町。 こんどはステッキをずるずる引きずって、銀座を歩いた。何も見なかった。ぼんやり水平線を見ているような眼差で、ぶらぶら歩いた。落葉が風にさらわれたように、よろめき、資生堂へはいった。資生堂のなかには、もう灯がともってい・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・十八歳の夏休みに東京へ遊びに来て尾張町のI家に厄介になっていた頃、銀座通りを馬車で通る赤服の岩谷天狗松平氏を見掛けた記憶がある。銀座二丁目辺の東側に店があって、赤塗壁の軒の上に大きな天狗の面がその傍若無人の鼻を往来の上に突出していたように思・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・そうして十年たった明治二十八年の夏に再び単身で上京して銀座尾張町の竹葉の隣のI家の二階に一月ばかりやっかいになっていた。当時父は日清戦役のために予備役で召集され、K留守師団に職を奉じながら麹町区平河町のM旅館に泊まっていたのである。 I・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網町の河岸通りを去って、銀座附近に出て来るのも近い中だとかいう噂がある。しかしそういう適当な休み場所・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・車掌は受取ったなり向うを見て、狼狽てて出て行き数寄屋橋へ停車の先触れをする。尾張町まで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。しかしさすがに声はかけず、鋭い眼付で瞬き一ツせず車掌の姿に注目していた。車の硝・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫