・・・と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合う身体から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身に煮浸み出はせぬ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・さっき柩を舁き出されたまでは覚えて居たが、その後は道々棺で揺られたのと寺で鐘太鼓ではやされたので全く逆上してしまって、惜い哉木蓮屁茶居士などというのはかすかに聞えたが、その後は人事不省だった。少し今、ガタという音で始めて気がついたが、いよい・・・ 正岡子規 「墓」
・・・忠利の法号は妙解院殿台雲宗伍大居士とつけられた。 岫雲院で荼だびになったのは、忠利の遺言によったのである。いつのことであったか、忠利が方目狩に出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。そのとき忠利はふと腮髯の伸びているのに気がついて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・法名は千山宗及居士と申候。 父才八は永禄元年出生候て、三歳にして怙を失い、母の手に養育いたされ候て人と成り候。壮年に及びて弥五右衛門景一と名告り、母の族なる播磨国の人佐野官十郎方に寄居いたしおり候。さてその縁故をもって赤松左兵衛督殿に仕・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫