・・・ やれやれ生命を拾いたりと、真蒼になりて遁帰れば、冷たくなれる納台にまだ二三人居残りたるが、老媼の姿を見るよりも、「探検し来りしよな、蝦蟇法師の住居は何処。」と右左より争い問われて、答うる声も震えながら、「何がなし一件じゃ、これなりこれ・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・それが予備軍のくり出される時にも居残りになったんで、自分は上官に信用がないもんやさかいこうなんのやて、急にやけになり、常は大して飲まん酒を無茶苦茶に飲んだやろ、赤うなって僕のうちへやって来たことがある。僕などは、『召集されないかて心配もなく・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ その様子が可哀そうにもならないではないが、僕は友人とともに、出て来た菓子を喰いながら、誇りがおに、昨夜から今朝にかけての滑稽の居残り事件をうち明けた。礼を踏まない渡瀬一家のことは、もう、忘れているということをそれとなく知らせたかったの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・倶楽部員は二郎の安全を祝してみな散じゆき、事務室に居残りしは幹事後藤のみとなりぬ。十蔵は受付の卓に倚りて煙草を吹かし、そのさまわがこの夜倶楽部に来し時と変わらず見えたり、ただ口元なる怪しき微笑のみ消えざるぞあやしき。 余は二郎とともに倶・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 避暑の客が大方帰ったので居残りの者は我儘放題、女中の手もすいたので或夕、大友は宿の娘のお正を占領して飲んでいたが、初めは戯談のほれたはれた問題が、次第に本物になって、大友は遂にその時から三年前の失恋談をはじめた。女中なら「御馳走様」位・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・彼等は、祖父の時代と同様に、黙々として居残り仕事をつゞけていた。 大正×年九月、A鉱山では、四千名の坑夫が罷業を決行した。女房たちは群をなして、遠く、東京のT男爵邸前に押しよせた。K鉱山でもJ鉱山でも、卑屈にペコ/\頭を下げることをやめ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・私はその翌る日、信州の温泉地に向って旅立ったが、先生はひとり天保館に居残り、傷養生のため三週間ほど湯治をなさった。持参の金子は、ほとんどその湯治代になってしまった模様であった。 以上は、先生の山椒魚事件の顛末であるが、こんなばかばかしい・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・殊に小人数ですから家族的気分でいいとかいいながら、それだけ競争もはげしく、ぼくなど御意見を伺わされに四六時中、ですから――それに商売の性質から客の接待、休日、日曜出勤、居残り等多く、勉強する閑はありません。気をつかうのでつかれます。月給六十・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そろそろ肉が無くなって、群烏は二羽立ち、五羽立ち、むらむらぱっと大部分飛び立ち、あとには三羽、まだ肉を捜して居残り、魚容はそれを見て胸をとどろかせ手に汗を握ったが、肉がもう全く無いと見てぱっと未練げも無く、その三羽も飛び立つ。魚容は気抜けの・・・ 太宰治 「竹青」
・・・自分は毎年のようにこの年の夏も東京に居残りはしまいか。 もう八月も十日近くなった……明治四十三年八月 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫