・・・しかし彼の旅行は単に月並な名所や景色だけを追うて、汽車の中では居眠りする亜類のではなくて、何の目的もなく野に山に海浜に彷徨するのが好きだという事である。しかし彼がその夢見るような眼をして、そういう処をさまよい歩いている間に、どんな活動が彼の・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・婆さんは長火鉢を前に三毛を膝へ乗せて居眠りをしている。辰さんは小声で義太夫を唸りながら、あらの始末をしている。女中部屋の方では陽気な笑声がもれる。戸外の景色に引きかえて此処はいつものように平和である。 嵐の話になって婆さんは古い記憶の中・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・これを見ていたとき、私のすぐ右側の席にいた四十男がずっと居眠りをつづけて、なんべんとなくその汗臭い頭を私の右肩にぶっつけようぶっつけようとしていた。全くこうした映画に全然興味をもとうという用意のない正直な観客には退屈至極な映画であろうと思わ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・数学のような論理的な連鎖を追究する場合ですらも、漠然とした予想の霧の中から正しい真を抽出するには、やはりとぎすました解剖刀のねらいすました早わざが必要であろう。居眠りしながら歩いていたのでは国道でも田んぼへ落ちることなしに目的地へは行かれま・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・工場がえりの組合員たちは、弁当箱をひざにのせたまま居眠りしているのに、学生たちは興奮して怒鳴ったりしている。ひょうきんな浅川など、弁士が壇をおりたとき、喜んでしまって、帽子を会場の天井になげあげて、ブラボー、ブラボーと踊っている。深水や高坂・・・ 徳永直 「白い道」
・・・勝手の方では、いっも居眠りしている下女が、またしても皿小鉢を破したらしい物音がする。炭団はどうやらもう灰になってしまったらしい。先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過越して来た日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角の・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 十六日留置場の看守は交代せず、話しかけられるのを防ぐつもりか、小テーブルに突伏して居眠りばかりしていた。 数日経って特高へ出されると、主任が、「どうです!」と、煙草のヤニのついた歯を出してにやにやした。「ききましたか?・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ どうしたって目のあいてないことがあるんですよ、並んで順ぐり居眠りしてる恰好ったら! オイ! たまらない。 ターニャは自分でふき出しながら、ほっぺたの上から金髪をかきのけた。 ――でも、みんないい青年たちなんです。СССРに労働科で・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・「あの人は気が柔かくなったと見えて居眠りばかりして居る。 長生きが出来ていいでしょう。などとこっちの家では噂をして居る。 女中を一人と、親類の預りっ子か何か「清子」と云う十三四のが水仕事や何かはして居ると見えて、・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・そうして、腹掛けの饅頭を、今や尽く胃の腑の中へ落し込んでしまった馭者は、一層猫背を張らせて居眠り出した。その居眠りは、馬車の上から、かの眼の大きな蠅が押し黙った数段の梨畑を眺め、真夏の太陽の光りを受けて真赤に栄えた赤土の断崖を仰ぎ、突然に現・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫