・・・鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く笥が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。 天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、まず、その屋台のような物を肩へのせる、それか・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・若旦那は、ありがたいか、暖かな、あの屋台か、五音が乱れ、もう、よいよい染みて呂律が廻らぬ。その癖、若い時から、酒は一滴もいけないのが、おでんで濃い茶に浮かれ出した。しょぼしょぼの若旦那。 さて、お妻が、流れも流れ、お落ちも落ちた、奥州青・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・毛氈の赤い色、毛布の青い色、風呂敷の黄色いの、寂しい媼さんの鼠色まで、フト判然と凄い星の下に、漆のような夜の中に、淡い彩して顕れると、商人連はワヤワヤと動き出して、牛鍋の唐紅も、飜然と揺ぎ、おでん屋の屋台もかッと気競が出て、白気濃やかに狼煙・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……柱も天井も丈夫造りで、床の間の誂えにもいささかの厭味がない、玄関つきとは似もつかない、しっかりした屋台である。 敷蒲団の綿も暖かに、熊の皮の見事なのが敷いてあるは。ははあ、膝栗毛時代に、峠路で売っていた、猿の腹ごもり、大蛇の肝、獣の・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・……他の旅館の庭の前、垣根などをぶらつきつつ、やがて総湯の前に近づいて、いま店をひらきかけて、屋台に鍋をかけようとする、夜なしの饂飩屋の前に来た。 獺橋の婆さんと土地で呼ぶ、――この婆さんが店を出すのでは……もう、十二時を過ぎたのである・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ ある年の春の長閑な日のこと、花の下にあめ売りが屋台を下ろしていました。屋台に結んだ風船玉は空に漂い、また、立てた小旗が風に吹かれていました。そこへ五つ六つの子供が三、四人集まって、あめを買っていました。 頭の上には、花が散って、ひ・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・ そのつぎには、カチ、カチと拍子木を鳴らして紙芝居が、原っぱへ屋台をおろしたのです。 たくさん子供たちが、わいわいと集まってきました。ヨシ子さんも、三郎さんも、我慢がしきれなくなって、とうとう、そっちへかけ出していってしまいました。・・・ 小川未明 「左ぎっちょの正ちゃん」
・・・ すると、あちらの浜辺の方から、一人のじいさんが一つの小さな屋台をかついで、こっちに歩いてくるのに出あいました。それはよく毎年春から夏にかけて、この地方へどこからかやってくる、からくりを見せるじいさんに似ていました。 三人の娘らはた・・・ 小川未明 「夕焼け物語」
・・・ おもちゃ屋の隣に今川焼があり、今川焼の隣は手品の種明し、行灯の中がぐるぐる廻るのは走馬灯で、虫売の屋台の赤い行灯にも鈴虫、松虫、くつわ虫の絵が描かれ、虫売りの隣の蜜垂らし屋では蜜を掛けた祇園だんごを売っており、蜜垂らし屋の隣に何屋があ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・南海通にもあくどいペンキ塗りのバラックの飲食店や闇商人の軒店や街頭賭博屋の屋台が並んでいて、これが南海通かと思うと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声のする方をひょいと見ると、元「波屋」があった所のバラ・・・ 織田作之助 「神経」
出典:青空文庫