・・・秋祭の時、廓に毎年屋台が出て、道太は父親につれられて、詰所の二階で見たことがあったが、お絹の母親は、新調の衣裳なぞ出して父に見せていたことなどもあった。今はもう四十五六にもなって、しばらくやっていた師匠を止めて、ここの世話をやきに来ているの・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・百眼売つけ髭売蝶売花簪売風船売などあるいは屋台を据ゑあるいは立ちながらに売る。花見の客の雑沓狼藉は筆にも記しがたし。明治三十三年四月十五日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩酊者二百五人喧嘩九十六件、内負傷者六人、違警罪一人、迷児十四・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・若人はたすきりりしくあやどりて踊り屋台を引けば上にはまだうら若き里のおとめの舞いつ踊りつ扇などひらめかす手の黒きは日頃田草を取り稲を刈るわざの名残にやといとおしく覚ゆ。 刈稲もふじも一つに日暮れけり 韮山をかなたとばかり晩靄の間・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その辺一ぱいにならんだ屋台の青い苹果や葡萄が、アセチレンのあかりできらきら光っていました。 亮二は、アセチレンの火は青くてきれいだけれどもどうも大蛇のような悪い臭がある、などと思いながら、そこを通り抜けました。 向うの神楽殿には、ぼ・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・そして、いつかの折に藤村という一つの大きい明治文学の屋台をふわけして、生々しい機構を知りたいという慾望を刺戟されたのであった。 アルゼンチンの国際ペンクラブの大会に藤村氏が出席したからには、能うかぎり進歩的効果のあげられることを、私たち・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
共学 期待はずれた今度の内閣改造の中で僅かに生彩を保つのは安倍能成氏の文部大臣であるといわれる。朽木の屋台にたった一本、いくらかは精のある材木が加えられたところで、その大屋の傾くことを支え切れるもので・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・石ころ道の片側にはぎっしり曖昧な食物店などが引歪んだ屋体を並べている。前は河につづく一面の沼だ。黒い不潔極まる水面から黒い四角な箱みたいな工場が浮島のように見える。枯木が一本どうしたわけかその工場の横に突立っている。往来近いところは長い乱れ・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ 明るく西日のさす横通りで、壁に影を印しながら赤や碧の風船玉を売っていた小さい屋台も見えなくなった。何処からとなく靄のように、霧のように夕暮が迫って来た。 舗道に人通りがぐっと殖え、遙か迄見とおしのきいていた街路の目路がぼやけて来た・・・ 宮本百合子 「小景」
うちを出て、もよりの省線の駅までゆく途中の焼跡にも、この頃はいろいろの露店が出はじめた。葭簀ばりの屋台も、いくつかある。 きのう、霜どけのぬかるみを歩いてその通りをゆくと、ちょうど八百やが露店を出していた。人参、葱、大・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・ 傍の小さい新聞屋台で、『レーニンの孫』というこの地方のピオニェール新聞を買い、ソヴェト同盟の広さというようなことを強く感じながらホテルの玄関を入り、右手の広間へ通った。瓦斯燈の水っぽい光が、ゴムのような滑らかな大きい葉の植木を照してい・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
出典:青空文庫