・・・のみならず半之丞は上さんの言葉にうんだともつぶれたとも返事をしない、ただ薄暗い湯気の中にまっ赤になった顔だけ露わしている、それも瞬き一つせずにじっと屋根裏の電燈を眺めていたと言うのですから、無気味だったのに違いありません。上さんはそのために・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・彼は或聖書会社の屋根裏にたった一人小使いをしながら、祈祷や読書に精進していた。僕等は火鉢に手をかざしながら、壁にかけた十字架の下にいろいろのことを話し合った。なぜ僕の母は発狂したか? なぜ僕の父の事業は失敗したか? なぜ又僕は罰せられたか?・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来毎日手伝いに来てくれる友人であった。 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・天井も張らぬ露きだしの屋根裏は真黒に燻ぶって、煤だか虫蔓だか、今にも落ちそうになって垂下っている。四方の壁は古新聞で貼って、それが煤けて茶色になった。日光の射すのは往来に向いた格子附の南窓だけで、外の窓はどれも雨戸が釘着けにしてある。畳はど・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・屋根は、屋根裏に、高粱稈を渡し、その上に、土を薄く、まんべんなく載せてあった。扉は、モギ取られていた。内部には、床も棚も、腰掛けも、木片一ツもなかった。たゞ、比較的新しいアンペラの切れと、焚き火のあとがあった。恐らく、誰れかの掠奪にでもあっ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・「あの、屋根裏のおかしげな音は何ぞと云ってるんだ!」「なに、なんじゃ。――屋根裏に銭があると云いよるんか?」 おふくろはぼれかけた。 よなべに作る藁草履を捨てゝ地下足袋を買えば、金がいる。ポンプも、白熱燈も、親玉号も、みな金・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・物置の屋根裏で鳩がぽうぽうと啼いている。目の前の枯枝から女郎蜘蛛が下る。手を上げて祓い落そうとすると、蜘蛛はすらすらと枝へ帰る。この時袂の貝殻ががさと鳴る。今までとんと忘れていたけれど、もうこの貝殻も持っていたってつまらないと思って、一つず・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・二日も前に帰って来て、そうして、嫁と相談して、馬小屋の屋根裏の、この辺ではマギと言っていますが、まあ乾草や何かを入れて置くところですな、そこへ隠れていたのです。もちろん、嫁の入智慧です。母は盲目だし、いい加減にだまして、そうしてこっそり馬小・・・ 太宰治 「嘘」
・・・先日、私は新宿の或る店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。ばかに偉そうにしているが、女には、もてませんね。きざに、芸術家気取りをしたって、だめだよ。夢を捨・・・ 太宰治 「容貌」
・・・勇敢なクジマ、今までに四十人の生命を助け十回も屋根からころがり落ちた札付きのクジマのおやじが屋根裏の窓から一匹のかわいい三毛の子ねこを助け出す。その次はクジマがポケットへ子ねこをねじ込んだままで、今にも焼け落ちんばかりの屋根の上の奮闘。子ね・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
出典:青空文庫