・・・尤も日本の女が外から見える処で行水をつかうのは、『阿菊さん』の著者を驚喜せしめた大事件であるが、これはわざわざ天下堂の屋根裏に登らずとも、自分は山の手の垣根道で度々出遇ってびっくりしているのである。この事を進めていえば、これまで種々なる方面・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢の猛烈であったことは、三月九日の夜は同じでも、わたくしの家の焼けた山の手の麻布あたりとは比較にならなかったものらしい。その夜わたく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・年来の生活状態からして、私は始終山の手の竹藪の中へ招かれている。のみならず、この竹藪や書物のなかに、まるで趣の違った巣を食って生きて来たのです。その方が私の性に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易くは動かぬ。曲りくねってむやみやたらに行くと枸杞垣とも覚しきものの鋭どく折れ曲る角でぱたりとまた赤い火に出くわした。見・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・しかしだいぶ江戸っ子でも幅のきかない山の手だ、牛込の馬場下で生まれたのだ。 父親は馬場下町の名主で小兵衛といった。別に何も商売はしていなかったのだ。何でもあの名主なんかいうものは庄屋と同じくゴタゴタして、収入などもかなりあったものとみえ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
去る十二月十九日午後一時半から二時の間に、品川に住む二十六歳の母親が、二つの男の子の手をひき、生れて一ヵ月たったばかりの赤ちゃんをおんぶして、山の手電車にのった。その時刻にもかかわらず、省線は猛烈にこんで全く身動きも出来ず・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・ おゆきの身についていて、東京の山の手に育つ子供の心には、きわめてもの珍しくうつったいくつもの癖が、くるわの習慣であったことが分ったのは、わたしが十七八になって、歌舞伎芝居をみるようになってからだった。梅幸のお富が舞台の上で、ひっかけ帯・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・ 私は、大抵のとき、前に云った建築敷地の板囲いの前に自分を現した。山の手の住居の方から来る電車の停留場が其処にあった。 段々速力をゆるめて赤い柱の傍に来、車掌が街角の名を呼ぶと、どんな時でも少くとも三四人の者が、俄に活々した表情を顔・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・真っ蒼に澄み切った、まだ秋らしい空の色がヴェランダの硝子戸を青玉のように染めたのが、窓越しに少し翳んで見えている。山の手の日曜日の寂しさが、だいぶ広いこの邸の庭に、田舎の別荘めいた感じを与える。突然自動車が一台煉瓦塀の外をけたたましく過ぎて・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・地方の農村で育った私でさえそうであったから、東京の山の手で育った連中は、一層そうであったであろう。ちょうどそのころに、文芸ではありのままの現実を描写すると称する自然主義がはやり始めたし、思想の上では個人主義が私たちを捕えた。他人の気を兼ねる・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫