・・・まして光をうけている部分は、融けるような鼈甲色の光沢を帯びて、どこの山脈にも見られない、美しい弓なりの曲線を、遥な天際に描いている。…… 楊は驚嘆の眼を見開いて、この美しい山の姿を眺めた。が、その山が彼の細君の乳の一つだと云う事を知った・・・ 芥川竜之介 「女体」
・・・ 風の一息死ぬ、真空の一瞬時には、町も、屋根も、軒下の流も、その屋根を圧して果しなく十重二十重に高く聳ち、遥に連る雪の山脈も、旅籠の炬燵も、釜も、釜の下なる火も、果は虎杖の家、お米さんの薄色の袖、紫陽花、紫の花も……お米さんの素足さえ、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 石の上に腰をおろして、前方を見ていると、ちょうど、日があちらの山脈の間に入りかかっています。金色にまぶしくふちどられた雲の一団が、その前を走っていました。先頭に旗を立て、馬にまたがった武士は、剣を高く上げ、あとから、あとから軍勢はつづ・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金…… また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれてい・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・登りつむればここは高台の見晴らし広く大空澄み渡る日は遠方の山影鮮やかに、国境を限る山脈林の上を走りて見えつ隠れつす、冬の朝、霜寒きころ、銀の鎖の末は幽なる空に消えゆく雪の峰など、みな青年が心を夢心地に誘いかれが身うちの血わくが常なれど、今日・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・谷間の泉から、苦力が水を荷って病院まで登って来る道々、こぼした水が凍って、それが毎日のことなので、道の両側に氷がうず高く、山脈のように連っていた。 彼等は、ペーチカを焚いて、室内に閉じこもっていた。 二人は来し方の一年間を思いかえし・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・川はやや平面的に螺線をなして流れる。山脈は螺線さ。木の枝は一つが東に向ッて生える、その上の枝は南それから西北という工合に螺旋している。花を能く見玉え、必らず螺形に花びらが出ている。朝顔の花の咲かない間は即ち渦をなしている。釘も螺状の釘が良い・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・見覚えのある浅間一帯の山脈は、旅で通り過ぎた時とは違って、一層ハッキリと高瀬の眼に映って来た。 先生の住居に近づくと、一軒手前にある古い屋敷風の門のところは塾の生徒が出たり入ったりしていた。寄宿する青年達だ。いずれも農家の子弟だ。その家・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上郡に八幡というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はいる、・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
一 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連・・・ 太宰治 「魚服記」
出典:青空文庫