・・・僕も実際初対面の時には、突兀たる氏の風采の中に、未醒山人と名乗るよりも、寧ろ未醒蛮民と号しそうな辺方瘴煙の気を感じたものである。が、その後氏に接して見ると、――接したと云う程接しもしないが、兎に角まあ接して見ると、肚の底は見かけよりも、遥に・・・ 芥川竜之介 「小杉未醒氏」
・・・山村水廓の民、河より海より小舟泛かべて城下に用を便ずるが佐伯近在の習慣なれば番匠川の河岸にはいつも渡船集いて乗るもの下りるもの、浦人は歌い山人はののしり、いと賑々しけれど今日は淋びしく、河面には漣たち灰色の雲の影落ちたり。大通いずれもさび、・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・これまさしく伊豆の山人、野火を放ちしなり。冬の旅人の日暮れて途遠きを思う時、遥かに望みて泣くはげにこの火なり。 伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童ら節おもしろく唄い、沖の方のみ見やりて手を拍ち、躍り狂えり。あわれこの罪なき声、かわたれ時の・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・例えば鏡花氏が紅葉山人の書生であったような形式をとるか、ドストエフスキイ式に水と米、ベリンスキイが現われるまで待つか、なにかしたいと思っています。然し、ぼくは汚ならしい野郎ですから、東京に帰ってどんなに堕ちても、かまいませんが、おふくろが、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・天狗の大木を伐り倒す音がめりめりと聞えたり、小屋の口あたりで、誰かのあずきをとぐ気配がさくさくと耳についたり、遠いところから山人の笑い声がはっきり響いて来たりするのであった。 父親を待ちわびたスワは、わらぶとん着て炉ばたへ寝てしまった。・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・自分もこの老いさらぼえた山人に何とはなしに畏怖の念をいだいていたが、しかしその「山オコゼ」というのがどんなものだか知りたいという強い好奇心を長い間もちつづけていた。それでとうとう母にねだって二つ三つの標本を買ってもらった。それは、煙管貝のよ・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・誌上に誰やらの作った明治小説史と、紅葉山人の短篇小説『取舵』などの掲載せられていた事を記憶している。 二月になって、もとのように神田の或中学校へ通ったが、一週間たたぬ中またわるくなって、今度は三月の末まで起きられなかった。博文館が帝国文・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ わが亡友の中に帚葉山人と号する畸人があった。帚葉山人はわざわざわたくしのために、わたくしが頼みもせぬのに、その心やすい名医何某博士を訪い、今日普通に行われている避姙の方法につき、その実行が間断なく二、三十年の久しきに渉っても、男子の健・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・という語が幾個あるかと数え出した事もあれば、紅葉山人の諸作の中より同一の警句の再三重用せられているものを捜し出した事もあった。唖々子の眼より見て当時の文壇第一の悪文家は国木田独歩であった。 その年雪が降り出した或日の晩方から電車の運転手・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝が出で、天明年代に京伝、文化文政に三馬、春水、天保に寺門静軒、幕末には魯文、維新後には服部撫松、三木愛花が現れ、明治廿年頃から紅葉山人が出た。以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫