・・・ それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路へ馬を向けていたのです。 わたしは藪の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇いていますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
夫人堂 神戸にある知友、西本氏、頃日、摂津国摩耶山の絵葉書を送らる、その音信に、なき母のこいしさに、二里の山路をかけのぼり候。靉靆き渡る霞の中に慈光洽き御姿を拝み候。 しかじかと認められぬ。・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ト、今まで、誰一人ほとんど跫音を立てなかった処へ、屋根は熱し、天井は蒸して、吹込む風もないのに、かさかさと聞こえるので、九十九折の山路へ、一人、篠、熊笹を分けて、嬰子の這出したほど、思いも掛けねば無気味である。 ああ、山伏を見て、口で、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・…… 大巌の岸へ着くと、その鎌首で、親仁の頭をドンと敲いて、だってよ、べろりと赤い舌を出して笑って谷へ隠れた。山路はぞろぞろと皆、お祭礼の茸だね。坊主様も尼様も交ってよ、尼は大勢、びしょびしょびしょびしょと湿った所を、坊主様は、すたすた・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・細竹に筒をさして、四もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍に草鞋まで並べた、山路の景色を思出した。 二「この蕈は何と言います。」 山沿の根笹に小流が走る。一方は、日当の背戸を横手に取って、次第疎に藁屋がある、中・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・それでいわゆる足も空に、いつしか田圃も通りこし、山路へ這入った。今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵へは一里に遠いッて云いましたねイ」「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼと歩るきだす時の心持はなんとも言えませんでした。山路三里は子供には少し難儀で初めのうちこそ母よりも先に勇ましく飛んだり跳ね・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ お里が別に苦しそうにこぼしもせず、石が凸凹している嶮しい山路を上り下りしているのを見ると、清吉はたまらなかった。「ひまがあったら、木を出せえ。」彼は縫物屋が引けて帰ったお品に云いつけた。「きみも出すか、一束出したら五銭やるぞ。・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・ そこから西へ、約三里の山路をトロッコがS町へ通じている。 住民は、天然の地勢によって山間に閉めこまれているのみならず、トロッコ路へ出るには、必ず、巡査上りの門鑑に声をかけなければならなかった。その上、門鑑から外へ出て行くことは、上・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・く考えており、徒然草をさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、それを唯一の旅中の楽にして、然として夕陽の山路や暁風の草径をあるき廻ったのである。・・・ 幸田露伴 「観画談」
出典:青空文庫